5  反 響

  ここでは、反響として、雑誌や催しあるいはHPなどでとりあげられた内容を紹介します。


@ 高生研関ブロ 交流会1  日川高校「天皇の勅」校歌訴訟について

戦意高揚の校歌
 山梨県立日川高校の校歌には「天皇(すめらみこと)の勅(みこと)もち 勲し立てむ時ぞ今」の歌詞があり戦中には軍国主義の精神的シンボルとして生徒たちの戦意高揚に大きな役割を果たした。そして、日川高校は日本国憲法制定後も「伝統の校歌」であるとしてこの校歌を歌い続けている。

議論の場を求め提訴
 「天皇の勅」を称えるこの校歌は日本国憲法に違反する、と主張してきたが、学校が議論の揚を設けることを拒否してきたため、原告たちは「議論の場を設けよ」という趣旨で提訴に踏み切った。東京高裁は判決で「日川高校校歌が日本国憲法の精神に沿うものであるかどうかは異論があり得る」として議論の必要を示した。しかし、日川高校校長は議論を拒否している。
 会場には山梨出身の淡路氏もいて、その背景に関する発言もあり興味深かった。報告者の河西氏は「日本には臣民民主主義はあるが、市民としての真の民主主義はない」という。 この問題の背景には甲府に限らず日本に根強く残る、「立身出世的」「同窓会主義的」なミニ天皇制とでもいうべき地域社会のあり方があるようだ。また、仲間(学校・同窓会)に取り込むに当たって、はじめ徹底的にいじめ、そのあとで「ようし、よくやった!」とほめるという、マインドコントロール的仕組みについても発言があった。君が代・日の丸が強制されている今」日川高校校歌問題は人ごとではなく私たちの間題である。「日本に臣民民主主義はあるが…」の河西氏のことばが心に残った。ホームページも立ち上げたというのでご覧ください。                    (薄平武壽/千葉県立湖北高校 高校生活指導誌掲載 )


A 「天皇の勅」歌う日川高校校歌に「デモ」をかけよう     

 今年は韓国併合100年の節目とされ、新聞や雑誌においても多くの論が展開された。私も実行委員会の一員として開催に関わった「2010平和を願う山梨戦争展」において、私たち山梨教育運動ユニオンは、「韓国併合と教育」のテーマのもと、「韓国併合と日川高校校歌問題」と題した展示を行った。
 それは、韓国併合が1910年(明治43年)であり、現在も「天皇の勅もちて、勲し立てむ時ぞ今」と歌われている日川高校校歌が制定されたのが1916年(大正5年)、まさに、日川高校校歌とは、韓国併合をすすめた当時の日本国家の歌であったということにあらためて目を向けさせたかったからである。
展示は、まず「日川高校校歌は、聞きたくない、見たくない。」とした。奇しくも今夏の甲子園に日川高校が出場したからである。出場を祝い勝ち進んで欲しいが校歌は聞きたくない、山梨県民として恥ずかしいとしたのである。そして、「日川高校校歌は、生徒をどう教育しようとした校歌だったか」と問いかけた。
 1905年(明治38年)9月、日露戦争は日本の勝利に終わる。しかし、戦時の増税は据え置かれ、飢饉と不況の追い打ちで社会問題が噴出した。政府は、さらなる軍備増強、海外への膨張をはじめる。同年11月、第二次日韓協約(乙巳保護条約)締結。伊藤博文が銃剣で威嚇しながら調印させたといわれているこの協約で、天皇の名代としての総監がソウルに置かれることになる。以降日本が韓国(大韓帝国)を事実上植民地にしてしまう。そして1910年(明治43年)に韓国併合。大韓帝国を消滅させ、日本の植民地としてしまうのである。さらに1914年(大正3年)には第一次大戦が勃発。日本にとって中国に勢力を拡大する絶好のチャンスとなった。つづいて1915年(大正4年)には対中21カ条請求。辛亥革命後の混乱につけ込んだ「歴史上おそらくもっとも後ろ暗い外交的攻略(ジェローム・チェン)と言われた。中国の主権を侵害し、内政を干渉したのである。中国は受諾した5月8日を「国恥記念日」にしたのである。
 そして1916年(大正5年)、 それまで校歌として歌われていた明治1901年(明治34年)の創立式典歌に代えて制定したのが山梨県立日川中学校歌。それはその後の15年戦争を経ても、そのまま現行の日川高校校歌になっているのである。
 三番にある歌詞「天皇の勅もちて、勲し立てむ時ぞ今」というのは、天皇の言葉(教育勅語)をもって、韓国や中国などへ出て行って、勲し立てむ(手柄をたてる)=そこの国や人々をやっつける、その時は今だと、当時の中学生をそそのかしたのである。
その後も日本は、1918年(大正7年)にシベリア出兵し、満州支配をめざす。1918年(大正7年)に第一次大戦が終結し、これを機に民族運動が高まる。日本はそのまま海外への膨張=侵略政策をすすめ、高まる独立運動は弾圧し、15年戦争へと突き進んでいった。日本の教育政策も、日川中学の教育も校歌もそのまま突き進んだのだ。
1945年(昭和20年)敗戦、そそのかされた人々、「手柄」をあげた人もいたが、一方多くが自らの命を失いまた傷ついた。何より「手柄」は、実は他の国の人々の命を奪い、傷つけたのである。
戦後、そうした戦前の侵略した国家の時代の教育は「反省」されたはずだ。戦前の教育を支配した天皇の発したとされる「教育勅語」も排除、失効がなされている。
 しかし、日川中学の校歌は、そのまま新制日川高校の校歌とされてしまった。愚かにも「反省」がなされなかったというしかない。戦前の侵略国家の時代の教育の残滓になってしまった。               
 先般そのことを日川高校経費の監査請求からはじめて裁判で問うた。最終的に東京高裁は以下のように判示した。
 「確かに、本件歌詞における『天皇の勅』が教育勅語を指すのかどうかを措くとしても、本件歌詞が国民主権、象徴天皇制を基本原理とする日本国憲法の精神に沿うものであるかについては異論があり得るところであって、本件歌詞を含む本件校歌指導を教育課程に取り入れることの当否についても、十分な議論が必要であるということはできる」
 これを、山梨日日新聞は社説(2006・5・22)で、「司法が歌詞について一定の判断を示した意味は重く、関係者は真摯に受け止める必要があろう」と論評している。
だが、日川高校にあっては反省がなされていない。そしてその反省のないものを生徒達に強制している。その校歌の意味を知れば、恥ずかしさを感じる人もいるだろう。そもそも考えることもしないとか、気付かないままとか、それもまた恥ずかしいことだ。それが甲子園であからさまになるのは山梨県民として恥ずかしい。韓国併合の時代の校歌を精算し、甲子園で堂々と歌える、聞きたい校歌を願うと展示した。
 この歌が、現在も日川高校校歌として歌われている、歌わされていることが放置されているのは問題である。あきらめることなく、この歌を排除していく取り組みが必要である。
その一つとなる取り組みが今夏あった。第27回になる教育労働者全国交流集会が山梨で開催され、この日川校歌のことを知る全国の実行委員会のメンバーが日川高校に申し入れを行ったのである。(申し入れ書別掲)
 校長は、機が熟したらその時は見直すこともありうる、その時は皆さんの意見も聞くとは言うが、ひたすら、自分では何もしようとしない、いろいろな意味でだらしない、およそ教育の名に値しないこれまでの回答を踏襲しようとするのみであった。取材した記者は、新たな回答がなかったと報道しなかった。残念ながら、正論をもって迫っても動かない、それを迫る現実的な運動の力量もない時、そもそもそれに向き合おうとしない者たちにはそれに応えることは期待できない。
 しかし、この申し入れ自体をデモンストレーションと考えると、一つの闘いの取り組みとして意味があることがわかる。まずはこのような「デモ」を積み重ねていくことで、「何とかしなければならない」と迫っていくことがやはり必要なのだ。今回の申し入れも大きな意味があった。さらにさらに、いろいろな「デモ」をかけていくことを考えていかねばと思う。

 申し入れ資料
                        申 入 書                  2010年8月3日
山梨県立日川高等学校  
校長 窪島 紀人  様

                                     教育労働者全国交流会実行委員会 
                                        住所 大阪市淀川区十三東3-6-3-302
                                                TEL・FAX 06-6304-8431

 私たちは、戦前の天皇制軍国主義教育時代につくられ、教育勅語教育を徹底するために生徒たちに歌わせた山梨県立日川高校の校歌が、戦後もそのまま引き継がれ、今現在も歌い続けられていることに心底驚きました。断固抗議します。
私たちは、日川高校「天皇の勅」校歌訴訟県民の会(「県民の会」)の人々が、日川高校が「天皇の勅(すめらみことのみこと)もち/勲(いさおし)立てむ時ぞ今」という文言の入った校歌を強制していることを問題にし、住民監査からさらに訴訟提起したことを支持し、「県民の会」が全国に発した署名活動にも応じてきました。そして、県民の会発行のニュ―スやホームページで明らかにされる訴訟等の状況と県や県教育委員会、校長の発言にも注視してきました。控訴審に提出された山本昌昭元校長の尋問形式をとった生々しい陳述書、長谷川修さん、北村小夜さんの意見書についてもまったく同意し、支持してきました。
控訴審は「確かに、本件歌詞における『天皇の勅』が教育勅語を指すのかどうかを措くとしても、本件歌詞が国民主権、象徴天皇制を基本原理とする日本国憲法の精神に沿うものであるかについては異論があり得るところであって、本件歌詞を含む本件校歌指導を教育課程に取り入れることの当否についても、十分な議論が必要であるということはできる」と判決に書き込みました。
「天皇の勅」が教育勅語でなくて一体なんだというのでしょう。教育勅語については1948年6月19日、衆議院は「教育勅語等排除に関する決議」が、参議院は「教育勅語等の失効確認に関する決議」を出しました。もし、「天皇の勅」が教育勅語であると認めれば、教育課程の中での校歌指導が憲法違反となるがあまりにも明らかとなるため、憲法問題については極力触れない裁判所にあっては上記のようにしか言いようがないといえるでしょう。それにしても、控訴審判決は、原告の主張を認め、学校(校長)に再考と十分な論議を求めたものであることははっきりしています。山梨日日新聞も社説(2006・5・22)で、「司法が歌詞について一定の判断を示した意味は重く、関係者は真摯に受け止める必要があろう」と論評しています。
 判決の後、県民の会は、裁判の原告団との連名で公開質問状を出し、「意見交換の場」を持つよう要求しています。県民の会が前身である「『天皇の勅』歌詞の排除を求める山梨県民の会」も校長あて要望書を提出しています。しかし、私たちの知るかぎりではそれは十全には果たされてはいません。
 県立日川高校の校歌の問題は、単に日川高校、山梨県での問題ではありません。高裁判決当時の市川今朝則校長の「生徒は歌詞の意味を意識していない。単なるフレーズとして歌っているんです」という発言は、戦前の天皇制教育において行われた「考えさせるのではなく従わせる」教育とまったく同質の教育を今現在もなお行っていることを証するものです。歌わされる生徒たちの人格・人権をまったく認めない発言で断じて許せません。
私たちは、教育の戦争責任、戦後責任を明確にし、自覚することが今一層厳しく問われていると考えています。
教育基本法が改悪され、「愛国心教育」が書き込まれ、戦争をする国づくりの基礎に教育を据えようとする策動が進められています。文部科学省による歴史の歪曲による教科書検定のあり方と歴史修正主義勢力によって出版された教科書の採択は、日本国内ばかりでなく中国、韓国などアジア諸国からも厳しく非難されています。また、学校への「日の丸・君が代」の強制や現場教員に対する管理強化、学校の改編・統廃合などが学校を一層、強制と競争、差別と選別の場に貶め、教職員ばかりでなく多くの生徒たちの居場所をも奪っています。
このような状況下で、すでに司法判断が出されている「天皇の勅」校歌をこれからも生徒たちに強要することは断じて許せません。
 
ついては、下記の事項について申し入れをしますので、誠実に対応してください。なお、回答については面談時(2010年8月9日10時)にお聞きしますのでよろしくお願いいたします。

申し入れ事項

1、「天皇の勅」校歌を直ちに廃止・排除すること。
2、校歌の廃止・排除について生徒、教職員と時間をかけて議論すること。その場合、戦前教育勅語体制のなかでの日川中学校で行われてきた教育の実態についての検証もあわせて行うこと。また、脅迫まがいの態度や言動によって自由な議論が抑圧されないよう責任を持つこと。
3、「県民の会」の人々その他この校歌の排除・廃止を求めている全ての人々の意見を真摯な態度で聞き、呼びかけられている公開での議論に積極的に応じること。
4、同窓会等による学校教育への不当な介入を断固はねのけること。


          佐野公保 (原告 山梨教育運動ユニオン組合員 平和を願う山梨戦争展実行委員)
                                 「通信反戦反天皇制労働者ネットワーク」に報告

トップページへ戻る