雑感のコーナー・時々コラム

日本の農業の行方A

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日本の農業の行方21 01/02/01
農政もその方向で動き始めているが、私が思っていた以上の速さで対応している。次の政変で、政界が再編され、これまで、引き伸ばしてきた諸問題を解決するような内閣が出現したら、農政も加速度的に改革が進み、思い切った政策転換を比較的短期間で、実現するかもしれない。今の政府でさえ、様々な試みを模索し次々に手を打ってきているのだから。先延ばしされていた課題を、もうこれ以上そのままにしておくわけには行かない状態になったと言える。この変化を感じられない人たちは、残念ながら生業として細々と農業にしがみつくか、離農せざるを得ない状態に落ち込むしかないと私は、思っている。それほど大きな転換期に差し掛かっているのだ。もちろん、他の産業、行政などあらゆる組織が、制度疲労を起こし、こうした流れの中で厳しい時代が続いている。

日本の農業の行方22 01/02/02
この転換期に農業に携わっている以上、旧態依然とした体質から脱却し、新しい基準、農業における、ジャパニーズ・スタンダードを提起すべきだと考える。持続型農業を軸に、循環型社会へのシナリオは、すでに出来ているが、有効な実現策の前で悩んでいる。つまり、技術の問題である。低コストで、有効な栽培技術を早急に確立しなければならない。国際的に高すぎる農作物の価格を引き下げるためには、低コスト生産でなければ、消費者の支持は得られないだろう。
一方、これまで外観重視の品質も徐々に見直され、そのハードルは、低くなりつつある。共選体制もやがて維持できなくなり、市場の存在と役割も大きく変わる可能性がある。生産技術と流通が再構築されると、商品の意味も少しずつ変わり、外観重視から情報開示された顔の見える商品に支持が集まるだろう。もうすでに、それらを可能にするシステムが起動し、加速的に浸透している。

日本の農業の行方23 01/02/03
日本のあらゆるシステムが崩壊し、再構築されるから、モノの持つ意味も大きく変わる。より消費者サイドに立った考えや、生産者からの提案も増え、双方のコンセンサスが得られたものが支持される。すでに、大量生産、大量消費の時代は終わり、個人にとって価値あるモノを必要な時、必要なだけ購入し、資源を出来るだけ循環させる方向に進んでいる。農薬を大量に使用し、栽培しにくい物を生産したり、単価を上げるための梱包などは、同一規格での生産販売を前提としているが、もはや、時代遅れの感がする。もちろん、こうした流通がなくなるわけではなく、個人の価値観が多様化しているのに、それに対応できない体制で全てを処理しようとしている事に無理があるのだ。ただの消費不況ではなく、こうした社会変化の中で購買の基準が新しくなったと考えた方が、理解しやすい。

日本の農業の行方24 01/02/04
普通の価値観を取り戻しつつある状況の中で、多数の支持を得られる農作物の生産と流通を考えると、ネット産直も、一つの形態として定着するだろう。また、JAを中心に中間業者を省いた販売方法もITなくしては、成り立たない。情報革命で、大きく変わるのは、人々の意識であり、既存の組織、システムである。HPを開かなければ、モノが売れないとか、そんな単純な問題でなく、共通の意識の存在をかなりの速度で浸透させることによる価値観の変化である。だから、社会の有り方さえも変え得る現象を垣間見る事が出来るのだろう。
ただ、モノは、誰かが生産しなければ、流通しない。モノを生産する技術を再認識する結果になるだろう。どんなに販売が上手くても、生産技術の伴わない企業は、淘汰されてしまう可能性が高いのだ。

日本の農業の行方25 01/02/05
農業技術も、見直しの時が来ている。シルバー人材や、農業未経験の人たちにお手伝いをお願いしなければならない場面も想定し、省力化、簡素化された栽培技術や効率を上げるための機械化、たとえば、不耕起栽培など基本技術の創出が必要である。従来の農業技術を基に経営規模拡大し雇用を増やし直販しても、失敗する可能性が高いだろう。新規就農の人たちが、これまでと同じ農業技術で、生産し、同じような販売方法を取れば、既存の農家以上に収益性が上がらない。農地の取得、農業資産の確保など初期投資の回収が大きな負担になるからである。その上、基本になる農業技術が未熟で、有利な販路を確保できていないとしたら、結果は目に見えている。既存の農家サイドでも生産技術、販売技術のどちらかで、優位性を高めない限り、不安との戦いが続く。

日本の農業の行方26 01/02/06
改正JAS法の影響で、国内産の「有機」が店頭から消え、「減農薬」「低農薬」にシフトしてきた。いわゆる特別栽培農産物、「特栽」が主流になりつつある。様々な問題がある表示方法であるが、生産者サイドでは、低コスト生産での減農薬栽培を技術的に可能にしなければならない。高コストで、高価格の「有機」「減農薬」は、ほぼ壊滅するだろう。すでに、これらに、何ら付加価値がなく、有利販売が期待できないからである。
「減農薬」から「選農薬」へ、防除日誌、栽培管理の開示から、認証制度の利用というのが、私のシナリオだがマスメディアを中心に、注目されつつある。内容の信頼性より、こうした姿勢が、消費者に支持され、信頼関係を築く事に繋がるのだろう。単位面積辺り世界最高の農薬消費量のままでは、信頼される訳がない。

日本の農業の行方27 01/02/07
「有機」「減農薬」などに取り組む農家は、野菜、米で、約5%で、果樹では、わずか1%と言われている。オーガニック先進国の米国の消費者で「オーガニック」にこだわる人たちは3%で、日本でもほとんど同じぐらいらしい。新規就農を希望する人たちの多くが、野菜で「有機」、できれば、「自給自足」という事を考えるとマーケティングや社会性とは、次元が違うところにその価値を求めているのだろう。
ただし、明治時代以前の循環型農業は、三分の一の人口でも餓死者を出していた事と現在約60%以上の食糧を海外の農家が生産しているという事実を認識すべきであろう。
「農業は、職業でなく、生き方の問題である。」
というのが、持論であるから、個人的には否定しないが、社会との関わりの中で、農業の果たす役割を考えると残念ながらその影響力は、落ちてゆくだろう。もっとも、基本精神は、持続型農業の中に形を変えながら受け継がれてゆくことになるのだが。

日本の農業の行方28 01/02/08
今まで、農業保護政策に守られていた米作農家でも、このところ施策の後押しもあり、農業生産法人の設立や自立販売、米糠を使う無除草剤栽培、不耕起栽培など、これまで積極的に取り組まなかった課題に取り組む動きも出てきている。安心できる美味しいお米の生産を心掛けているのだが、まだ、価格が高すぎると言うのが実感であろう。多くの生産者は、技術革新より、加工品、産直などの有利販売に重点を置いているように見受けられるが、このままでは、本末転倒になってしまう。ただし、無洗米という発想は、面白いし将来有望である。
実際の所、販売こそ、もっとも、競争が激しく、スーパー、百貨店をはじめ、小売業は、大苦戦している。保護されていた分野の作物ほど、淘汰は、厳しくなる事を忘れないでいただきたい。しかし、厳しいところほどチャンスがあることも、これまた事実である。

日本の農業の行方29 01/02/09
スローフード(食にこだわり、美味しく、ゆっくりと)という動きが、イタリアを中心にヨーロッパに広がりを見せている。ハンバーガーに代表されるファーストフードは、貧相なアメリカの食文化で、これに対抗する豊かな食文化である。あのフランス料理に大きな影響を与えた日本の食文化の見直しと米食への回帰も始まっている。味覚に関して日本人が一番であるとは、あまり知られていないようだ。フライドチキンの油を綿実油から、安価なコーン油にしたところ、三ヶ月で、売上が落ち、オリジナルレシピに戻したとか。外食産業では、日本人の味覚、恐るべしというのが、常識らしい。生まれた時から、ファーストフードを食べていた子供たちも、「やっぱ、お米だよね。」とおにぎり、牛丼屋、定食屋、居食屋などに人気が集まりつつある。コンビニでの売上の上位は、おにぎり、お弁当である。大手ハンバーガーチェーンでは、将来のライバルに定食屋を挙げているほどである。が、米作農家でこうした動きを知らないようでは、目先の経営しか出来ないだろう。

日本の農業の行方30 01/02/10
米作農家の最大の関心は、転作作物をどうするかであろう。本業以上に、ここをうまく乗り切れば、経営は安定する筈である。たとえば、輪作体系の減農薬栽培で、加工メーカーとの直接取引きをするとか、市街地であれば、市民農園を栽培技術料込みで、指導するとか、中山間地であれば、棚田やビオトープの景観を都市住民とグリーンツーリズム、ファームステイなど通して、維持管理し、緑ある大地と共に生きる素晴らしさを共有するとか、様々な方法が浮かんでくる。
農家だけが考えるのではなく、農や緑や自然環境に関心のある人たち全てが、知恵を出し合ってより良い方向に向かっていけば、農業の果たす役割とその未来は、決して、悲観すべきものではないと思う。

日本の農業の行方31 01/02/11
戦前の養蚕農家は、早朝、ラジオで国際相場を聞いてから、畑に出かけたという。これだけ情報が氾濫している中で、どれだけの農家が、冷静に情報を分析し、外交、政治、経済などに関心を持ちながら、農業経営をしているか疑問だ。単年度予測、5年間、10年間の傾向を考えた上で、品種の選択や作付け、改植をしているだろうか。収益が上がらないので、直接販売をするとして、周到な準備をして来たといえるだろうか。
農協の指導に沿って、生産し、農協へ出荷すれば良かった時代は、何も考える必要もないうちに、年々豊かな生活が保証された。保護されているうちに、努力も改善もしないまま甘え続け、何かあると「農業の特殊性」を口にし、同情を買いながら、金を恵んでもらう事しか考えてこなかったのではないか。こんな農家を救う必要もないし、救おうとしても、そんな財源は、もう何処にもない。

日本の農業の行方32 01/02/12
日本の農業の行方と題して、これまで様々な角度から、私なりに意見を述べてきた。その行方は、国民一人一人の選択に委ねられるという結果になる。農業者が乗り越えなければならない技術、課題を克服しながら、より多くの人たちが共感できる農業でなければならない。自然と共に非効率的に生産することが、長期的には、合理的で、もっとも効率的であったりするのが、農業の世界では起こり得るのだ。農業の現場は、地道で変化に乏しく、基本的には、同じことの繰り返しでしかない。地域に縛られ、組織に依存し自ら考える必要さえなくなり、人と同じ事をやっていれば、大きな間違えは、しないだろう。そんな平和で無責任な時代は、もう、幕を閉じ、長く続いた過保護の時代から、ようやく歩き始めたばかりである。

日本の農業の行方33 01/02/13
農業に携わる人は、被害者意識が大きすぎる。自分の事は、棚に上げ、責任は、全て外に持って行く。悪いのは、自分ではなく、もちろん責任もなく、困るのは、国民だぞと、脅しをかけるところなど、呆れて口も聞けない。自己責任とか社会的な役割とか何も考えず、責任転嫁している所など、まるで、どこかの国の国会のようだ。
たとえば、近所のお店(食料品店など)を農家に例えて見ると分りやすい。後継者不足もあり、品揃えも良くなく、売上が徐々に減少し、次々に閉店したが、消費者は、コンビニやスーパーで買物して以前より便利で、特に困った事がない。残った個人商店は、魅力があり大型店や、コンビに以上に地域に密着した個性的なお店である。こうした事は、洋服屋、食堂、クリーニング店、酒屋などあらゆる業種で、現実に起こっている事である。農家も農業もこうした流れの中で、淘汰されるのは、当然であろう。

日本の農業の行方34 01/02/14
農業は、売り込みが苦手である。農協が販売を引き受けていたので、生産に専念していたのが影響しているのだろう。農家は、出荷している限り販売とは無縁である。農協は、販売を引き受けていたが、販売はしていない。ただ各市場の要請と価格を見ながら、荷割りをしていただけだ。米などは、引渡しをしていただけである。農家も農協も、販売の経験がないといってもいいだろう。
私が指摘しているように、諸情勢から、農協の構造改革も始まりつつある。合併し、大型農協になり、体質改善し、組織を維持しようとしている。いくら合併しても、農業人口の減少と農作物販売の減少に歯止めが、かからない限りその将来は、暗いものだ。農協職員のための農協、農協組織のための農協では、生き残れる訳がない。いくら農協組織が世界有数の総合商社であっても、今の対応では、衰退するのも時間の問題である。ただ個人的には、意外かもしれないが、実は、農協には、大きな期待を持っている事を付け加えておこう。

日本の農業の行方35 01/02/15
市場もその存在と将来に陰りを見せている。消費税導入の最大の目的は、間接税と直接税の比率の見直しだけでなく、流通の構造改革である。アメリカの企業が新規参入するのに、日本独自の商習慣が、大きな障壁となっていたためとも考えられる。国民に様々な職業を与える事により、富の分配の手段として、複雑な流通機構が作られ、それなりの価値を作ってきた。消費税導入後には、事態は、一変する。生産から、組合、市場、問屋、中卸、小売と、流通すればするほど、価格が上がってしまう。この間の流通をカットすれば、価格を下げる事が出来るというのは、誰が見ても明らかである。市場(いちば)の存在価値も、スーパーマーケット、外食産業などの要求を満たすフードコーディネーター的な役割以外に残された道があるだろうか。生産から、直接販売、中間マージンの削減と言う流れは、もう止められない。

日本の農業の行方36 01/02/16
経営危機に喘いでいる市場(いちば)が倒産しても、驚きはない時代である。流通業界、その物の存在が、失われつつあるのだから、体質というより、本質的に変われない企業にその将来はないだろう。健康な野菜を売り物にしている大手ハンバーガーチェーンは、わずか3年間で、250余りのグループ、約2100軒の農家と契約栽培をしている。そうした中で、市場や、農協がどう関わるかが問題である。農協は、何とか対応の方法もあるだろうが、市場は、どうだろうか?農協と同様に、生産者と結びつきを強くし、有利販売を約束させるか、農協を通さず、生産者グループを組織するしか方法は、ないだろう。農家としては、農協か市場、生産者グループの選択をするだけの事である。つまり、流通としては、一つの中間業者しか通さない事になる。その方が、価格が安くなるからである。農協、市場は、かつて、同じライン上にいたのだが、生産者グループを含め、流通の簡素化で、これまでの役割分担は、変わりつつある。恐るべし、消費税。

日本の農業の行方37 01/02/17
価格を下げ、有利に販売するためには、流通を簡素化し、中間マージンをカットする以外に道はないのだろうか?効率が一番良いのが、ネット産直、観光農園、朝市など直接販売する事であるが、出店するための経費、広告宣伝費、事務費などそれなりのコストがかかる上、商売の適性も求められる。誰もが成功するとは、限らない。そうなると、契約栽培などで直接、スーパー、生協、外食産業などにグループで販売する方が、計算しやすいだろう。
こうした流れで行くと、歴史上初めて、農家は、農法が規定される時代に突入したと考えられる。慣行栽培で、適切な施肥、合法的な農薬使用を前提に生産された農作物は、何の特色も持たない、魅力ない商品になってしまう可能性が高く、契約栽培する意味がないからである。

日本の農業の行方38 01/02/18
共生という言葉が最近よく使われるようになった。消費者ニーズから生産者サジェスション(提案)へ進み、そこから、一歩進み、共に作り出していこうとする姿勢が、見られるようになって来た。もっとも、農業界では、二歩前の消費者ニーズという立場から発想しているのだから、手の施しようがない。消費者ニーズとは、より安く、より高品質に、より安全に、というわがままな要求に集約されてしまい、心ある一部の都市生活者は、これに、適正なという形容詞を付け加え、理解あるように装っている。何を持って適性と判断するか?これは、難しい問題であるが、両者が共に生きるためには、相互理解するところから、すべてが、始まる。一方農家サイドでは、食糧自給率の現状を盾に、消費者が、愚かであるという論調が多いようで残念に思う。

日本の農業の行方39 01/02/19
愚かな国民の選択の結果が、今の政治家を生み、世の中が悪いのは、国民の責任であると言ってしまえば、建設的な意見は、生まれてこない。いままで、国民の選択は、常に、ほとんど正しかったというのが、私の考えである。多数の意見を聞き、効率が悪く、時間を費やし、最善の選択でなくても、一定の合意と理解の上で物事が進むと言うのが民主主義の特徴でもある。非民主的な農業も農村社会もその手法と効率の悪さは、よく似ている。
食糧自給率と農業の現状は、農政や消費者の責任を口にするのではなく、農家自身が猛省すべきだと思う。

日本の農業の行方40 01/02/20
賢明な選択の結果が今のこの状態である。何十年か、或いは百年に一度の転換期に来ていると、何度か触れているが、勝ち組み、負け組みというよりも、二極化が進むと指摘してきた。何を基準に勝ち組みというか判断の分れる所であるが、一人勝ち傾向が強まり、生き残れるか否かという事を指しているとしたら、二極化の意味は、ちょっと違うようだ。本質的に変われるか否か、制度、組織、価値感など今まで機能してきた物が根本的に刷新できるか否かと言う事である。むしろ、二極化が進むと、より混在化し多様化してゆくだろうし、それが、共生に繋がるのではないだろうか。たとえば、経済もその成長を前提に判断するわけには行かなくなって来ているというのが、私の考えである。農業の特殊性や多面的機能は認めるが、市場経済の中にいることも事実である。

日本の農業の行方41 01/02/21
今更、食糧自給率を100%にしようと言うのは、現実的ではないだろう。そうかと言って、外国に依存する事も賢明ではない。消費者が愚かでない事は、今の農業の現状と、特に価格において、納得していないということから、価格の安い輸入品を選択している事でも理解できる。今年は、暖冬の予報と裏腹に雪が多く、野菜などの品不足から、価格上昇、輸入増大という結果になっている。輸入できるうちは、それでいいが、輸入できなかった時は、有機、減農薬、慣行栽培に問わず国内産を買うしか選択はない。しかし、こういう事態が起こらないと多くの人が思っているのだろうし、今の国力であれば、起こらないだろう。消費者は、そういうことも何となく分っていながら、安い輸入品を買っていると思われるし、それが間違っているとは思わない。

日本の農業の行方42 01/02/22
野菜農家は、ギャンブラーであると言うのが、私の持論である。最も農業自体がギャンブルであるから、野菜農家が一番のギャンブラーと言い換えるほうが適当かもしれない。レタス御殿とか、キャベツ御殿の話は、マスコミでは、ほとんど登場せず、豊作で、低価格の時の廃棄処分しか登場しないというのも、ギャンブラーたる所以である。流石に最近では、おいしい(高値で売れる)時に輸入品が出回りその地位も危うくなっているようだが、未だに、夢をもう一度と勝負している所など、体質は、変わってないようである。勝負を避け、地道にという人たちは、契約栽培、ネット産直などに取り組んでいるが、品不足の時は、輸入品という時代になっては、ギャンブラーの出番は、より少なくなるのも当然であろう。

日本の農業の行方43 01/02/23
輸入野菜の中でも、韓国産、中国産の進出が目に付くようになった。韓国産より中国産に驚異を感じる人も多いが、どうであろうか。中国史上初めて、餓死者を出さない政権が、共産党政権である。中国4000年の歴史の中で、餓死者を出さない時代は、わずかこの数十年でしかない。ということは、基本的に中国は、自給できる豊かな土地を持たないと言えるだろう。10億を超える国民を養う事の難しさは、容易に想像される。
韓国も、朝鮮半島の統一と言う難題を抱えている。しかも歴史的に、朝鮮半島は、統一されていない時代の方がずっと長いし、韓国内でも、地域的な対立と差別が続いている。まして、朝鮮半島の北側は、餓死者が出るほどの食糧不足が囁かれている。こうした背景から長期的に見ると、ほとんど脅威は感じられないだろう。今後更に、輸出攻勢はあるだろうが、突然の輸出禁止による弊害を危惧すべきである。

日本の農業の行方44 01/02/24
2007年が日本の人口のピークになり、その後は減少し、世界人口は、人口爆発と言われるほど増加が進み、食糧の確保が問題になってくる。そこで、自給率をどうするかが、問題視され、これからの農業の行方に関心を持つ人たちが増え始めている。国民的合意を得る段階まで農業は、壊滅的ではないし、とりあえず、食糧は有り余っている。ビジネスとして成り立つ間は、輸入農産物に依存する体質は変わらないし、その結果、国内農業も衰退を続け、淘汰されるだろう。危機的な状態に陥り、外的要因による供給不足か大胆な政策転換が為されてから、国民同意の上での方向性が決定されるのではないだろうか?食糧がバブル状態にある時に、農業サイドが何を主張しても聞いてもらえないが、先の見通しから農業や食糧が有望なビジネスになることは間違いないだろう。

日本の農業の行方45 01/02/25
農業問題を農業の世界、農業の立場だけで論議する傾向がある。しかも、その特殊性ばかりを訴えていたのでは、次第に相手にされなくなるだろう。農家の実情と農業を同一レベルで語る時代は、もう終わっている。農業問題と食糧問題も同一ではない。農家が、食を支配しているとは、誰も思っていないだろう。市場原理や貿易などと密接に結びついた上で、農業を一つの産業として捉えなければならない。たとえば、中国産、韓国産の農作物の輸入問題を考える時、その国の置かれている状況や歴史的背景や外交問題などからもアプローチして判断しなくてはならない。そうした判断力が農業サイドで一番遅れている所だと私は思う。情報は、溢れているのに、分析が出来ないし、分析しようともしない。それは、生産のみで、販売を考えなかった結果だとも言える。

日本の農業の行方46 01/02/26
自立農家や、企業的経営体を育成したり、株式会社の農業参入を認めようとしているのは、農業の体質改善を促すためである。企業は、そのほとんどが戦後約55年ほどの歴史しかないし、これまで、農民、農村が担っていた農業を任すだけの健全性もないと指摘する人もいる。農業と企業は、馴染まないのではと思われている。一方、アメリカの子供たちが将来なりたい職業のトップ10に、農場主が上位に顔を出し、時には、トップになることさえある。この場合の農場主は、もちろん、農家の主ではなく、一部上場するくらいの大金持ちの農業経営者を思い浮かべる方が適当である。憧れのプロスポーツ選手やミュージシャンと同等に農業経営者が、将来の夢となっている。だからアメリカの農業は、底力があるのだと思う。

日本の農業の行方47 01/02/27
バブル経済の崩壊後、失われた10年を経て、「夢」が消えて行ったような気がしてならない。農業は、最初からほとんど夢らしいモノがなっかたので、衰退したのかもしれない。農業は、様々な形があり、これからは、より多くの生き方のモデルとなり得るだろう。そこに、社会的役割や理念と共に夢を伝える事が出来るかどうかで、存在価値が決まるとも言えるだろう。利益を追求するだけの企業では、生き残れないし、夢だけを追い求める零細農家では、持続できないだろう。将来、子供たちの夢の対象となるような生き方こそが、我々に、求められているし、農業こそ多様な生き方を模索できる唯一の産業である。

日本の農業の行方48 01/02/28
食と農に関する取り組みが少しずつだが、目に付くようになってきた。JAなどを中心に教育の現場に農業を取り入れれる試みである。その重要性と将来的な役割は、すでに指摘したように今後更に評価されるべきである。各省庁が名前だけ再編されたが、縦割り行政の弊害を取り除かなければ、現状に合った効率的な施策を生み出せないだろう。たとえば、ゴミ問題一つを取り上げても、幾つかの省庁が協力しない限り根本的な解決にはならない。問題解決のためには、従来の枠組みだけでは、解決できない時代に突入した。既存の方法論では対処できない状況があらゆる場面で考えられ、その歴史的な役割も終わりを迎えたのである。
農業問題もまさに同様に、単独で議論している状況ではない。教育、地域社会、経済、環境などの多くの観点からアプローチして行けば、きっと、何処かに光が差し込み、新しい局面が浮かんで来ると思うのだが。

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