吾妻屋神社(あづま)


 山沢を挟んで菩提山長谷寺と反対側の峰に吾妻屋神社がある。平成元年不審火により全焼したが、同4年氏子らのてにより再建された。

 


参道途中にある鳥居


参道途中にある御舊跡


参道にある急な石段
(老人にはきつい)


再建された立派な本殿


本殿裏の祠

 吾妻神社あるいは吾妻屋神社は「倭建命(やまとたけるのみこと)」と、その妃「弟橘比売命(おとたちばなのひめのみこと)」を祀っている事が多い。

 「古事記」によると、倭建命の東征の際、相武国の小野で、この地の夷の長に騙され原野の中で火をかけられたが、草薙の剣で草をなぎ払い、さらに火打で刈った草に火をつけ向火として窮地を脱し、この地の夷を滅ぼした。
 倭建命はさらに東に下って走水(今の浦賀水道)の海を渡るが、途中暴風雨に遭い難破しそうになった。このとき一緒にいた妃、弟橘比売命が「私は夫である皇子の身に代わって海に入水します。どうぞ皇子はつつがなくお役目を果たして、大和へお帰りあれ」と言って入水すれば、さしもの荒波も静まり倭建命は無事目的地に着くことが出来た。
 入水の時、弟橘比売命は「さねさし 相武の小野に燃ゆる火の 火中に立ちて 問ひし君はも(幾夜も寝る日を重ねた長旅の果てに、相武の小野では火に囲まれ、あわやと思われたその時でも、貴方は私の名を呼んで励まして下さった)」と詠んだ。倭建命はこの後、東征も終わり大和に帰る途中足柄峠で、はるか走水の海を望み海に沈んだ弟橘比売命を思いだし三度嘆き「吾妻はや・・!(ああ我妻よ・・!)」と発した。

 この記述により吾妻神社・吾妻屋神社という社名が出たといい、東京湾岸・相模湾岸に多くある。ただし山の中に有るのは珍しい。またこれらの神社には倭建命の腰掛け石と伝えられるものがセットになっている。
 春日居町の吾妻屋神社にも倭建命の御舊跡がセットされている。倭建命ゆかりの
酒折宮からさほど離れていないとは言え、こんな辺境の山の中に倭建命の足跡らしき神社が有るのが驚きである。

−−−−おまけ−−−−

 「吾妻・・(あづま)」と叫んだ故に、この東の国を「あづま」と言うのだそうです。ちゃんと古事記に書いてあるんですよ!


桑戸不動堂 ・ もどり

吾妻屋神社