桑戸不動堂の五大明王


 地蔵院の記録によると「藤原朝臣(ふじはらのあそん)、茂手木七郎兵衛信定が母と平治の乱を逃れて都より桑戸に落ち着き、一族の菩提をともらうために一庵を創建した。これが茂林庵(もりんあん)で現在の地蔵院だと言い、平治元(1159)年ぐらいの話である。その後天正14(1586)年に五大明王は茂林庵より旧桑戸村の表鬼門(東北の方向)に移し祀られた。」と言う。現在の不動堂は享保3(1719)年に作られた物だという。

 五大明王は本来、金剛界五仏(五智如来)に対応するものであり、大日如来の教令輪身である不動明王を中心に東に降三世(ごうさんぜ)明王、南に軍荼利(ぐんだり)明王、西に大威徳(だいいとく)明王、北に金剛夜叉(こんごうやしゃ)明王が配置されるものである。
 しかし、桑戸不動堂の五大明王は二重の格子を設けたその中に横一列に並んでいる。

 何れも十二世紀後半(平安時代後期)に作られたもので、檜材一木造りとなっている。

     
 
大威徳明王    軍荼利明王     不動明王     降三世明王    金剛夜叉明王
(五大明王は二重の格子を設けたその奥に安置され、外からその姿を見ることはほとんど出来ない。
これら五大明王の写真は格子の前に閲覧してある写真のコピーである)

 

不動明王

 不動明王は五大明王の中心的存在で、大日如来の使者となり、悪を断じ、善を修し、真言行者を守護する役割を担っている。しかし元々は大日如来の教令輪身で、大日如来そのものである。
 一般的には、像容は1面2臂で、莎髻(しゃけい)とよぶ花形の髻か蓮華を頭にいただき、弁髪を左肩にたれ、猛火を背負い、憤怒の形相をして、右手に利剣、左手に羂索を持ち、瑟瑟座(しつしつざ)ないしは盤石座に坐るのが普通である。左眼を半眼に閉じ、下の歯で上唇をかみ、二本の牙をあらわす。
 春日居不動明王は「左手の羂索が無く、身体が青く彩色されている。また両眼とも大きな穴が開き、左眼が半眼であったかどうか不明である。」

降三世明王

 煩悩の根本である三毒(貧欲、怒り、迷い)を降伏させる明王である。
 像容は青色の身体をもつ3面8臂の憤怒像で、右手に金剛鈴・剣・矢を、左手に三叉戟・弓・索をもち、胸の前で両手を交差させるのが普通である。
 春日居の降三世明王は「手に何も無く、身体が緑に彩色されている。」

軍荼利明王

 軍荼利とは甘露(不死)を意味し、強い力で外敵を除く明王である。
 像容は全身青色で1面3眼8臂の姿で、右手に三鈷杵を持ち、拳印を結ぶ、左手には戟や金剛鉤等を持ち、二手は胸の前で交差して大瞋印を結ぶ。
 春日居の軍荼利明王は「手に何も無く、身体が赤褐色に彩色されている。また、右手一本と左手二本が無くなっている。」

大威徳明王

 優れた威徳を持つ明王で、阿弥陀如来の憤怒形とも、文殊菩薩の化身とも言われる。
 像容は全身青黒色で、6面6臂6足、右手に剣・宝棒、左手に鉾・索等を持ち、中央の二手を胸の前で合わせ人差し指を伸ばしている。青い水牛に乗っているのも特徴である。
 春日居の大威徳明王は「手に何も無く、身体は白色である。また胸の前の二手が臂より先が無く、左手二本が無い。」

金剛夜叉明王

 金剛とは最上最勝とか堅固の意味で、夜叉は羅刹とならぶ悪鬼のことである。金剛杵の威力で人間の心の内外の障害を夜叉の様な力で粉砕する役割を持つ明王である。
 像容は3面6臂で、手には剣・矢・宝輪・五鈷・金剛鈴などを持ち、中央の顔に五眼を持つ。
 春日居町の金剛夜叉明王は「手に剣のみをもち、身体は青色に彩色されている。


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