山梨岡神社は、崇神天皇の時代に国内に疫病が流行し人民の大半が死亡し、その他の災害も多かったのを天皇が深く愁い、社地と神戸とを定めたのに始まる。このとき病災を取り除くために、日光山高千穂の峰に大山祇命(おおやまずみのみこと)・高*神(たかおかみのかみ)・別雷神(わけいかづちのかみ)の三体をまつり、隣郷の鎮守とした。[*印は雨かんむりに龍]

神社正面。
山梨県の呼び名の元とも云われ、社記に「成務天皇の時ふもとの窪地に茂っていた梨の木を切り払って神戸を移した。甲斐が根山梨岡と号し、これによって山梨郡の名が始まった」とある。
山梨岡神社の背景に御室山(みむろやま)がある。神社の参道に立って眺めると、この山の形は明らかに両裾に尾を引いたまろやかな神体山であり、上代人達が斎場として好んだであろうことがわかる。御室山は、もし国に災害があるときにはあらかじめ鳴動するとの伝説がある。4月の春日居町温泉祭りの時期には御室山の斜面を利用した、大文字焼きならぬ、大鳥居焼きを見ることができる。笈形焼き(おいがたやき)と言う。

神渡橋から見た御室山。
勝沼町の大善寺の記録によると、昔、御室山の中腹にある長谷寺(ちょうこくじ)と大善寺の僧徒が問答のこじれから戦闘を始め、両山とも伽藍が炎上した。その時大善寺の僧徒が長谷寺に協力した山梨岡神社の鳥居を持ち帰って焼き払たのが大善寺の鳥居焼きの始まりで、長谷寺の僧徒が大善寺から笈(おい:山伏が背負い歩く箱状の入れ物)を持ち帰り、焼き払ったのが笈形焼きの始まりと伝えられている。山梨岡神社には今でも鳥居が無い。(但し、今から280年程前の記録によると、境内の入り口に東向きに鳥居が建てられていた事が明らかである。)
山梨岡神社前の石碑に「従是東屋宮神前迄拾二丁余」とあり、昔の参道はここから北西に折れて吾妻屋宮に向かっていた、途中で東に折れて青梅街道にでていた。
山梨岡神社には、この神社独特の「きのかみ」と言う独足の神が併祀されている。「きのかみ」とは、麒麟(きりん)、龍(りゅう)、猩々(しょうじょう)等と同じ、中国古来の想像上の動物(獣神)の一つで「状は牛、蒼身にして角無し、一足。名づけてきと言う。」とある。
元々中国で考えられたものであるが、仏教とともに伝来し祭神されたのか、あるいは元々岡神社に祭神されていた一本足の神様が、中国の想像上の獣神に似ていたため、「きのかみ」と呼ばれるようになったのかは不明である。
元々10年に1回の開帳がその後7年に1回となり、今は毎年春の祭典で開帳される。
(きのかみの漢字表現は
)