近津堤
甲斐の国は、周りを三千メートル級の山々に囲まれている甲府盆地がその大半を占める。この甲府盆地は、御勅使川、釜無川、笛吹川、荒川などの扇状地であり、これらののべつ氾濫する暴れ川によって古くから慢性的に洪水に襲われていた。(御勅使川、釜無川、笛吹川、荒川とは、日本三大急流の一つである富士川のことである。)その中でも三大水難所が、笛吹川の「山梨市・万力林(まんりきばやし)」と「春日居町・近津堤(ちかつてい)」、釜無(かまなし)川の「竜王町・竜王堤(りゅうおうづつみ)」で、甲州の戦国武将武田信玄が治水工事をしたことで「信玄堤」として有名である。この信玄堤は「霞堤」と「雁行堤」という二つの特殊な築堤工法の併用でできている。

春日居町小松(この辺り一帯を「近津」と言う)
霞堤は、所々切れて開口部のある堤防で、洪水時に、この開口部から、一旦流路とは逆に洪水流を逃し、勢いを弱め、次の開口部から再び流路に取り込むという治水施設である。不連続になっている堤防を上から見おろすと、春霞がたなびいたように見え、霞堤と呼ばれるようになったといわれている。

堤防が無くなってしまう霞堤、無くなった堤防の外側に別の堤防が重なるように作られる。
そして内側の堤防と外側の堤防の間は開口部となる。
雁行堤は、空を飛ぶ雁の列のように堤防を並べて築くことにより、流勢を弱め川の流れを変える方法である。信玄の軍配に「雁行の陣を立て、一陣が破れても、二陣の備えがあり、二陣が破れても、三陣四陣と敵にあたることができる」とある。その兵法で発案されたと云われる。

春日居町桑戸(桃畑の中に半ば埋もれている) 山梨市万力(砂に埋もれてしまっている)
近津堤付近の川の中には「聖牛」と呼ばれる、現在で言うテトラポットが現在でも活躍している。

聖牛(ひじりうし)富士川(釜無川、笛吹川)で生まれ全国の急流河川で使われた。
これら土木技術の全体が「甲州流河除法」と総称されている。
なお「近津」とは、いくつかの川の合流している場所を示す言葉の様に思われるが確証が無い。

「近津」の地名が確認できる標識等
埋草神社 ・ もどり
近津
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