王勢籠権現と権現山のいわれ

山梨県の百名山に選ばれた、上野原町と大月の境に扇山(標高1137.8m)と並んで権現山(標高1311.9m)があり健脚のハイカーには縦走するにもってこいのコースになっている。 この権現山の山頂付近に王勢(せ )籠神社がある俗に権現様と呼ばれている。正式には王勢( せ)籠山権現神社と呼ぶ、この神社は、上野原町和見部落の人々によって管理運営されている。最近は5月3日の憲法記念日に祭典が執り行われている。遥か昔は春祭りが5月10日、秋祭りが10月10日と年2回行われていたという。昨今のように和見部落の人々が勤め人でなかった時代には年に一度5月10日に祭典を行っていた。この祭りには近郷近在の人々が権現山に集まり賑やかなものであったと言い伝えられている。特に権現様のバクチは有名であったという。神社の横手にちょっとした小平(平坦地)があり、そこで賭場が開かれ多くの人々が集まったという。昭和40年代までつづいていたという。日本の経済の発展により、山間にも道路の改良がされて誰でも自動車を持つことが出来、どこからでも通勤が可能になった事により、高収入が得られるように なって、祭りにも日にちを選ぶようになってきた。5月10日では人の集まりが悪くなり国民の祝日である5月3日(憲法きねん日)に変更せざるを得なかったようである。
この権現様には次のようないわれがある。このいわれを知る人も今では非常に少なくなったようだ。大昔、権現様は和見部落の東村の上に祀られていたという。(和見部落は東村、中組、入り組の3っつに分かれている)
ある時、部落内に疫病がはやり多くの人が亡くなったという。そこで祈祷者が願をかけたところ、今祀られているところの近所に非常にだらしのない不潔な女が住んでいるので、この地に鎮座していることは出来ないので、この部落の西北の一番高い山に、権現様が移ってしまわれたとのお告げがあったという。
この山に祠を建立しお祀りすれば、この部落の疫病はすぐに治るとのことで、現在のところに神社を移したととの話である。又、話の内容は全く同じであるが、当部落にある大庭家という名家があり、そこの主人の夢枕に権現様が現れ、東村に不浄な女が住んでおりこれを嫌って西北の高山に移りたい、ここに神社を建ててくれれば、この部落の疫病はたちどころに無くなる。と話した言うことで、現在の地に神社を建立したとの話もある。
どちらが本当かは話す人によって違う。
権現様のご神体は山犬(狼)お犬様である。祀られているのは日本武尊である。 権現神社について、もう少し述べると、奥の院は前出の権現山の頂上に祀られているが、中宮・里宮とがある。中宮はゾウノサワという地名で部落の奥はずれに当たるところに祀られている。里宮は前出の大庭家の屋敷内に社がある。昭和19年に大庭家では事情があって家屋の取り壊しをせねばならなくなった。
この家は大変大きく間口が11間半、奥行きが7間半あったという。この家の取り壊し前は、大庭家の奥の間に権現様が祀られており、大庭家で祭りを司っていたそうである。当家の話によると、この部屋えは家人であっても男でなければ入ることが出来なかったという。王勢籠権現の神使は御犬(75頭)なのです、大庭家では毎年例祭の前夜にはお供えを切り火つまり切り打ち鎌と火打ち石で火を打って浄めた食べ物を調えて供えていました。また農業が主体であった頃は、御犬様を拝借して(実際にはお札を戴く)家内に祀ってお供物を供えておくと、その家の火災盗難から守り、田畑も野獣から荒らされることがなかったそうです。
大庭家の先祖は、代々神主を務めていたとも言われるが今はその様なことはない。例年の5月3日の祭典の神事は大庭家の屋敷にある里宮の神前で行われている。この他にも大庭家と権現様とのつながりの話は数々あると聞く。

1997/11/08 撮影、天気所々に雲あり、権現山登山道の尾根道で富士山がきれいに見える場所からの富士山
同日撮影、権現山山頂から見る富士山雲に邪魔されてはっきりと見えなくて申し訳ない。
同日撮影、王勢籠権現神社の奥宮、石段は岩に人力で彫り込んで作られている。
同日撮影、権現山北側斜面の紅葉、撮影するには少し時期が遅すぎた。

2000/05/03 王勢籠権現神社の里宮で行われた例祭の後撮影
終わり