(平凡社世界大百科事典より引用) 甲陽軍鑑について、武田信玄を中心とし、当時の甲州武士の事績や戦争、政治、あるいは武士の精神や理想などを述べた書物20巻信玄の老臣高坂弾正信昌が書いたという体裁になっているが、著者については江戸時代から諸説対立し、現在ではだいたい小幡景憲(1572〜1663)の編集したものであろうとの説がもっとも有力である。
景憲は甲州流軍学を興した人で、北条氏長、山鹿素行らの師であり、江戸時代の軍学の開祖である。この書も軍学を説くことを目的としており、軍学において重視せられたとともに、また後世武田信玄らに関する俗説の根源もなしている。我が家で発見されたのは、20巻の内、16,17,18,19,20巻の5巻だけである。
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斉藤市左衛門(1804〜1878)は、江戸時代後期から明治時代初期にかけての江戸・東京の町人。月岑(げっしん)著述等の際に用いた号である。武江年表は、斉藤月岑が前編嘉永2年(1849)、後編明治9年(1873)脱稿。徳川家康が江戸に入府した天昇8年(1590)から明治6年(1873)に至る283年間について、風俗の移り変わり、巷の噂、事物の起源、天候、天災人災、事件事故など、あらゆる事象を編年体で綴った、江戸の編年辞典。正編八巻の内我が家で見つかったのは、壱巻、三巻、四巻、六巻、七巻、八巻の6冊であった。弐巻、五巻はいずこの人に持ち去られたものであろう。
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