我が家の古文書

父が生前中は、よく管理がされていただろう我が家の古文書も、10年以上も管理せずに来てしまった。現役を退職したらこの整理をやることを楽しみにしていたが、世の中そんなに甘くなく、退職後も勤めなければならなくなってしまい、ついつい最近まで何の手を入れずに来てしまった。最近思い付いて古文書箱を開いてみてびっくり虫損と鼠に荒らされて1/3位が全く塵と化していた、残された資料の中に甲斐の国都留群和見村時代のものが数多く出てきた、その中に甲陽軍艦、武江年表が見つかったので、これらを少し読んでみることにした。

 

甲陽軍鑑(こうようぐんかん)

武江年表(ぶこうねんぴょう)

(平凡社世界大百科事典より引用) 甲陽軍鑑について、武田信玄を中心とし、当時の甲州武士の事績や戦争、政治、あるいは武士の精神や理想などを述べた書物20巻信玄の老臣高坂弾正信昌が書いたという体裁になっているが、著者については江戸時代から諸説対立し、現在ではだいたい小幡景憲(1572〜1663)の編集したものであろうとの説がもっとも有力である。 景憲は甲州流軍学を興した人で、北条氏長、山鹿素行らの師であり、江戸時代の軍学の開祖である。この書も軍学を説くことを目的としており、軍学において重視せられたとともに、また後世武田信玄らに関する俗説の根源もなしている。我が家で発見されたのは、20巻の内、16,17,18,19,20巻の5巻だけである。

斉藤市左衛門(1804〜1878)は、江戸時代後期から明治時代初期にかけての江戸・東京の町人。月岑(げっしん)著述等の際に用いた号である。武江年表は、斉藤月岑が前編嘉永2年(1849)、後編明治9年(1873)脱稿。徳川家康が江戸に入府した天昇8年(1590)から明治6年(1873)に至る283年間について、風俗の移り変わり、巷の噂、事物の起源、天候、天災人災、事件事故など、あらゆる事象を編年体で綴った、江戸の編年辞典。正編八巻の内我が家で見つかったのは、壱巻、三巻、四巻、六巻、七巻、八巻の6冊であった。弐巻、五巻はいずこの人に持ち去られたものであろう。

表紙

表紙

内部の文字

内部の文字


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