古郡山 江月寺について

所在地  上野原町和見828番地

本寺   三珠山瑞光寺 上野原町棡原猪丸

本尊   聖観世音菩薩

創設年月 開基時宗旨・不詳 建長寺派臨済宗南岳領雲西堂和尚

その他の沿革等

 本尊の台座記に「文治12年3月18日 堀口民部とある。」「甲斐国社記」では開山が大覚禅師(勧請開山)とある。

上記内容は、「上野原町誌」下巻1033頁に記されている。


史実として証明することは難しいが、俗説によるとこの寺は甲斐の国、都留群、和見村の大庭家が(大庭家は代々が神職であったが、)大庭一族の始祖大庭景忠(大庭太郎)のため安貞1年(1227年)に草庵を建立したのが始まりである。寺の所在は(和見村828番地)、大庭家(和見村815番地)の真上に位置しており、距離は50mの所である。大庭家は相模国の大庭一族が文治1年(1185年)源平争乱における敗戦での落ち武者の一部であると云われている。(大庭一族でもこの戦で源氏方に付いた者もいる。)さて、大庭家では800余年前から和見部落を守るために、75頭の神犬を使い盗賊、放火を除く政治手段に用いられてきたのが王勢籠山権現神社である。この大庭家が一族の始祖を「讃える」、「祀る」為の草庵を建立は頷ける。弘長2年(1262年)大覚禅師[蘭渓道隆 寛元4年(1246年)宋より来朝し、弘安1年に没す。] がここに巡錫して臨済宗に転宗して開山となったと云われている。

 

前出の本尊  聖観世音菩薩の台座にある「文治12年3月18日 堀口民部とある。」とあるは、文治は5年で終わっているので文治12年はあり得ない、文治12年は建久6年(1196年)となるが、今の時代と違って当時は都の情報が地方に伝わることが非常に難しいことが判断される。本尊の作成が1196年で大庭家建立の草庵は1227年であって、31年間この聖観世音菩薩はどこに祀られていたのだろうか?

大覚禅師は、甲斐の国に流されて、特に北都留地方に臨済宗の布教に勤めたのであろう。この地方には臨済宗の寺が多い。

江月寺の庭先からは相模湾の舟灯りが見える。一説では江ノ島の月が見えると云うことでこの名前が付いたという。


寺の庭から


開山大覚禅師の碑


[Homeに戻る]