白道上人加持の井戸
上野原町上野原3804番地の1
中村辰男方
この井戸は、寛政9年(1797)に掘られたが、次の言い伝えがある。
当時上野原地区原部落には8軒の家があったが、近くに水源がなく、水には極めて不自由していた。新田倉や本町まで行って水をもらってきたが、それらの部落でさえ不足がちであったから、心苦しく毎晩遅くに出かけてるのが常であった。
部落の人たちは、たびたび井戸掘りを試みたが、なんとしても水がわいてこない。
そこで、そのころ鳥沢に住み着いていた白道上人を呼んできて加持をしてもらった。上人は、地質・水脈などに明るかったとみえ、中村方の「あけど」(東側)のあたりを掘るように教示した。
部落の人々は、その場所を一生懸命掘ったが、なかなか水がわいて出てこない。なんど中止を試みたかわからなくなったが、そのたびに上人のことばを信じて掘り進めた。そして、15〜16メートルに達したとき、ついに水が出た。
生活していく上になくてはならない水。それをよその部落までもらいに行っていた苦労は、想像を絶するものであったろう。それだけに、水の出たときの喜びも格別であった。
人々は、上人の得をたたえて井戸のそばに小碑をたてた。碑には「木食白道上人加持水井寛政九年巳年」と刻まれ、井戸とともに今でも残っている。

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