議論の場  

 
開き直る学校・同窓会     同窓生・原告 河西久

  1 日川高校校歌と高裁判決
                           
 「天皇(すめらみこと)の勅(みこと)もち 勲立てむ時ぞ今」― 1916年(大正5年)に制定された山梨県立日川高校校歌3番の歌詞である。国会議員で勲一等の田辺国男同窓会長(在任1977年〜2003年・名誉会長・2005年死去)は、1980年の同窓会誌(1頁)にこう書いている。
■「わが母校日川は、来年、創立80周年を迎える、という長い歴史の中で、創立当時から校章・校歌・校風を全く変えずに通している、全国稀有の存在です。『文武両道』『質実剛毅』という伝統的な教育方針が今日なお抵抗なく堅持されており、そこに脈々として日川魂が受け継がれてきました。それを、われわれ日川人は、なによりも誇りとしています。(略)もし『新しい』ことのみが尊ばれ、『古い』ものが頭から否定される論法からすれば、わが日川は、かたくなに古い伝統を守り続けている、アナクロニズムの権化のそしりをまぬがれないでしょう。しかし、質実剛毅の校風が、80年の歴史の変遷に耐えて、今日なお生き続けているということは、たとえ時代が如何に変わろうとも、『良いものは良いのだ』という、高い評価と強い支持を得ているからに他ならないと思うのです。(後略)」
 たとえ「アナクロニズム(時代錯誤)の権化」と言われようとも伝統の校歌・校章・校風を守っていこう、そう同窓会長は呼びかけている。そして、たとえ校歌が日本国憲法と齟齬をきたすにしても「良いものは良い」のであり、これを死守しようと訴えている。これが日川伝統の「反骨精神」らしい。
 ここでは法治国家の公務員としての規範意識は希薄である。同窓会主導の校歌の「死守宣言」ともとれる発言である。山本昌昭第23校長が現職校長として問題提起したのが1985年。その主張に共鳴した私たちの動きが訴訟に発展したのが2004年。その間の約20年という歳月は、田辺同窓会長の在任期間とほぼ重なっている。
 国会議員でもあった同窓会長は、日川高校校歌がアナクロニズムであることを認識していた。また国会議員として、「天皇の勅」(詔勅)が日本国憲法によって失効となり、国会においても、排除・失効の決議がなされていることも知っていた。国会決議は失効・排除の理由として、
■「これらの詔勅の根本理念が主権在君並びに神話的国体観に基いている事実は、明かに基本的人権を損い、且つ国際信義に対して疑点を残すもととなる。」
と明記している。
 「日川高校校歌問題」の核心は、日本国憲法をはじめとする法的規定で排除・失効している「天皇の勅」を公立高校の生徒に歌わせることが許されるのかということである。2006年5月17日東京高裁は、校歌指導に支出された公費の損害賠償は棄却したものの、つぎのような判決を下した。
■「本件歌詞が国民主権、象徴天皇制を基本原理の一つとする日本国憲法の精神に沿うものであるのかについては異論がありうる。」
■「本件歌詞を含む本件校歌指導を教育課程に取り入れることの当否についても、十分な議論が必要」
この判決が下されたとき、メディアの多くは簡単に「原告敗訴」の文字を紙面に載せた。しかし、「山梨日日新聞」だけが「実質勝訴」と報じている。「日川高校校歌問題」の本質を知る地元の新聞ならではの分析だった。私たちが最高裁に上告しなかった理由の一つは、この校歌の処遇についてはまず議論が必要だと考えていたからである。国会決議が手続きを経て詔勅の排除・失効を決議したように、「天皇の勅」を称える校歌も手続きを踏み、論理的に公教育の場から排除されなければならないと考えていた。校歌を残すにしても排除するにしても、なぜこの校歌が問題なのか、議論を尽くすことが日本国憲法の精神であると思っていたからだ。
 しかしながら、状況は現校長や新同窓会長の時代になっても変わらない。変えないことが伝統だからである。校長や同窓会長は甲府地裁提訴の段階でこう述べている。
■「教育勅語を歌いこんだという根拠はなく、歌詞は象徴天皇だと解釈している。」 (鶴田正樹第30代校長『朝日新聞』2004・1・24)
■「教育勅語でなく、国民の幸せや世界平和を願う天皇陛下の言葉と考えればいい。」(『産経新聞』2004・1・23 加藤正明同窓会長 在任2003年〜 元山梨県教育長)
 また、市川今朝則現校長は高裁判決が下された後こうも述べている。
■「生徒は歌詞の意味を意識していない。単なるフレーズとして歌っているんです。」 (『朝日新聞〔全国版〕』2006・8・8)
 これらの発言は、校歌改廃の権限をもつ校長や日川教育に強い影響力をもつ同窓会が、校歌問題については「すでに決着済み」(木藤勇興第29代校長の言葉)と言っているように聞こえる。提訴時に新聞紙上で紹介された日川高校2年生女子(17)の言葉は印象的だ。
■「時代にそぐわない表現があるとも思うが、(学校や同窓会など)大人が議論して結論を出すべき問題だ。」(『山梨日日新聞』2004・1・23)
 日本国憲法をはじめとする法的規定が存在するかぎり、日川高校校歌について議論を求める声は、これからも続くだろう。校長や教師を含む関係者たちは、高裁判決を真摯に受け止め議論を始めるべきだ。(2007・10・22)


  2 “神州第一の高校を目指しなさい”

 『百周年記念誌』に掲載された「神州第一の黌」

 戦後の日川高校関係の文献で「神州」の文字はこれが初出であろう。「神州」の文字を含む「日川高校詩」は、2001年11月3日発行の『百周年記念誌』(以下『百年誌』)上に掲載された。近藤百之第16代校長(在任1966・4〜1970・3)の作であり、編集長は加藤正明現同窓会長(元山梨県教育長)である。

    日川高校詩   近藤百之                       

文武切磋弟与兄    文武切磋す 弟と兄と               
質実剛毅鉄石盟    質実剛毅 鉄石の盟                
君不見故新脈々伝其粋 君見ずや故新脈々として其の粋を伝ふるを
須期神州第一黌    須く期すべし 神州第一の黌           

『百年誌』は、この詩を書いた近藤校長の「日川の教育方針」あるいは教育論について、「時代を超えた至言」と賛美している。「ここまで書くとは・・・」、それが私の正直な感想だった。この詩がそれから3年後の提訴への引き金であることを明らかにしておきたい。
「日川創立百周年」にあたる2001年は、日川高校が「神州第一の高校」を目指すことを宣言した年として、また、日本国憲法を超える価値をもつ教育機関としての誇りを刻んだ年として記録されるだろう。日川高校の教師たちは、この表現にどう反応したのだろうか。彼らは「神州第一の高校」の教師であることを自認しているのか、それとも反論できない重圧下に置かれているかのどちらかだ。
「創立百周年」前年の2000年5月、森喜朗首相は「日本は天皇を中心とする神の国」だとするいわゆる「神の国発言」を行った。これは「与党内にも懸念」(『朝日新聞』2000・5・17)を生じさせるほどのインパクトを持っていた。しかし、「日川人」たちは動じなかったにちがいない。「懸念」を感じていれば「神州」の表現は自粛していただろう。むしろ「神の国発言」は、「天皇の勅もち・・・」の校歌への追い風とみなされたのではなかったか。

 「校歌改定を求める声を一蹴!」

「日川高校校歌問題」は、『百年誌』上では完全に無視されている。そこには、学校と同窓会の双方が校歌に異論を唱える声を「一蹴した」(42頁)と書かれている。
「明治期まで歴史を遡ることのできる高等学校の中で、戦中戦後を通し校章・校歌をそのまま受け継いでいる高校は、全国で20余校程度はあるようだ。本校では、昭和23年(1948年)4月、新制高校発足後、ときに校歌の改定を求める声もあったが、学校や同窓会はそれを一蹴して今日に至った。」
1985年以来続いている私たちの「議論を求める声」はまったく無視されていることがわかるだろう。「一蹴」の表現は、議論の対極にある表現である。校歌に異論を唱えているのは「ほんの一部の人々」(田辺前同窓会長)ではなく、日本国憲法をはじめとする法的規定である。だから議論すべきだ、という主張は通らない。高裁が「歌詞が憲法の精神に沿うかは異論があり得る」と判決を下しても、「何事に対しても異論はあり得る」(市川今朝則現校長発言)と開き直る校風である。この市川校長発言は、提訴時の校長や同窓会長のコメントと同じ論理であり、あまりに恣意的と言わなければならない。
■「教育勅語を歌いこんだという根拠はなく、歌詞は象徴天皇だと解釈している。」(鶴田正樹第30代校長・『朝日新聞』2004・1・24)
■「教育勅語ではなく、国民の幸せや世界平和を願う天皇陛下のお言葉と考えればいい。」(加藤正明第5代同窓会長・『産経新聞』2004・1・23)

 校歌に歌われる「天皇の勅」は教育勅語である

「日川高校校歌問題」の取り扱いには慎重さが必要だ。校歌改定への意欲を明らかにした現職校長が恫喝される教育環境である。その一件も含め、順次報告したいと考えている。まず必要なのは、日川高校校歌に歌われる「天皇の勅」が教育勅語であるとの証言だ。戦前・戦中に「日川教育」を受けた人々の声である。
■「本校の特色は校歌の示すところの質実剛毅、吾人の使命は教育勅語の趣旨に則って国家有用の材となること、この精神に躍動する本校生徒は今後幾多の歴史的の推移はあろうとも断じて、不健全なる思想に惑はされずに真面目に日本帝国の前途を思ふ覚悟が無ければなるまい。」(教諭 池田哲三・『学友会報』32号・昭和10年3月・『百周年記念誌』318頁)
■「質実剛毅で始まる節の中に出てくる『天皇の勅もち』のところです。(略)私ははっきり言いました。これは具体的には教育勅語の奉戴であると。明治23年発布以来大正昭和にかけて半世紀余り、日本の教育はこれによって体系化され、進展し、日本の発展をみることができた。そして一旦緩急あれば義勇公に奉じて、事実われわれの先輩をはじめ同級生や後輩が血を流してきた。〔後略〕)(町田茂雄第18代校長の回想・旧制日川中27回卒・『同窓会誌』19号26頁・1981年。
町田校長の在任中〔1972年〜1974年〕、生徒総会あるいは臨時総会の席上、生徒会長からの校歌に関する質問に答えて)
■「そもそも『天皇の勅もち・・・』とは明治天皇の下し賜うた『教育勅語』を履(ふ)み行うとの意であ(る)。(略)当時吾々は日中の教室で教わり今も承知していることである。」(庄司元敬・旧制日川中37回卒・『同窓会誌』34号 67頁1996年)
■「日川高校歌三番の歌詞にある『天皇の勅』とは何を指すのかというに、この校歌制定の時代背景からして、『教育勅語』であることは明らかである。」(山本昌昭第23代校長・旧制日川中40回卒・『百年誌』211頁)
                                                      (2007・11・15)
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