3  山本校長提言と「小突き事件」

『日川図書館だより』(1985年)で校歌問題を提言

 
山本昌昭氏(第23代日川高校校長)は旧制日川中学(中40回)の出身である。山本氏にとって、1985年は運命の年と言っても過言ではないだろう。山本氏が校長として日川高校に赴任したのは1985年4月。退任したのは翌年1986年3月のことである。戦後の日川の歴史を見ても、在任期間が1年というのは山本校長だけである。
 山本氏は赴任した年、『日川図書館だより』(1985年11月11日発行)で校歌に関する所信を述べ日川高校校歌問題」の口火を切った。
  「目下私にとって最大の関心事は校歌だ。1、2,4番はいいとして、問題は3番だ。『質実剛毅の 魂を染めたる旗を打ち振りて 天皇の勅もち 勲立てむ 時ぞ今』 これは一体この侭にしておいていいのだろうか。(略)こういう歌を歌って、お国の大事に殉じた時代もあったという歴史的事実を尊重して、歌い継ぐことを積極的に意義づける主張もあった。しかし、校歌には学校の教育方針も盛り込まれる筈だ。戦前、戦中ならいざ知らず、これから未来へ向かって羽ばたこうとする生徒には、それなりに胸を張って歌えるような歌詞でなければ困る。(略)私に課された使命の最たるものは、どうやらこの校歌問題との対決にあるらしい。」(『戦後50年 天皇の勅 シンポジウムの記録』4頁 以下『シンポジウムの記録』)
 日川高校には、校歌への否定的な言及をタブー視する戦後の伝統があり、そのことを最も知って いるのが山本校長であった。日川出身の校長でなければ手がつかない問題提起であったと言え るだろう。


『同窓会誌』上での問題提起

  『日川図書館だより』が発行されたのが11月11日。 それより約1週間前の11月3日(文化の日)に恒例の同窓会総会が行われている。そして、総会に合わせて発行される同窓会誌の座談会に山本校長が出席し、問題提起をしている様子が記されている。テーマは「天地の正気の魅力」である。テーマが示すように、座談会は校歌を称える発言で終始するはずであったが、座談が終わるころ、山本校長から「新校歌検討委員会」についての発言がなされたのである。
  「3番の『天皇(すめらみこと)の勅(みこと)もち』というところです。ここは、今日的にどうつじつま を合わせようと試みても、すっきりしないものが残る箇所なので、この辺でもう一度、検討してみた いと思います。(略)委員会でも作って再検討してみたいと思っているわけです。」(『同窓会誌』   23号・19〜20頁)
 座談会は、山本校長、有賀茂同窓会常任理事(中25回)、田中勇第23回同窓会実行委員長(高9回)ほか、司会もふくめ8人で行われた。座談会はこの校長発言で終了するかにみえたが、司会者の指名を受けた有賀茂常任理事がまとめを行うかたちで発言を行っている。現職校長が「新校歌検討委員会」構想に触れ、同窓会理事の立場にある人物が校歌擁護の自説を述べ、それが活字なるのはきわめて異例のことであった。校長発言に対し、有賀氏はつぎのような反論を行っている。
  「今、校長先生が言った、天皇(すめらみこと)、即天皇(てんのう)という解釈じゃあないんです。 天皇(すめらみこと)ということは、最も高く、最も尊いという意味です。『勅もち』は、その最も尊い 言葉を自分の心にすなおに向けて、一生懸命生きようとしますということであって、天皇という意  味は一つもないです。天皇(すめらみこと)、即天皇(てんのう)ということになったのは、明治以来 の天皇を神格化するための一部の政治家の言うことで、それまであった、日本の天皇(すめらみ こと)という意味は最も尊い、最も美しいものを全部天皇(すめらみこと)と言っていた。だから万  葉集にあるように、天皇(すめらみこと)が野原にもち草をつみに行った、一緒になってもち草をつ んだ、というわけです。最も高い、最も尊いところの人に謙虚な心で従うことが、『天皇(すめらみ  こと)の勅もち』となるのです。」(『同誌』20頁)
 有賀理事の解釈をすべて引用したのは、いわゆる「校歌擁護派」の人々の論拠を見極める必要があるからだ。彼らはいかなる論法で、何のために、どのような手段で、校歌を擁護してきたのか明らかにしなければならないからである。

議論を封じる有賀理事発言

 賛否両論が許される場なら、有意義な座談会になっていたはずだ。しかし、校長の「新校歌検討委員会」発言についてほかの理事たちから何のコメントもなく、有賀理事は一方的に自説を述べたにすぎない。山本発言も提案という形式ではなく、所信を述べただけで、全体として議論が行われたという内容にはなっていない。有賀理事の反論も最終的に非論理的な表現で終わっている。
 「校歌の天皇(すめらみこと)がひらがなで、『すめらみこと』と書いておいてあれば、こういう問題がなかった。いろいろな理念があるかもしれませんが、意味はわからなくても、この校歌を聞くと、みんなの気持ちが一つに解け合う、それだけで、ぼくはいいと思うんです。」(『同誌』20頁)
 「校歌にはいろいろな理念があるが、意味はわからなくてもいい」という有賀理事の発言は、「生徒は歌詞の意味を意識していない。単なるフレーズとして歌っている」という市川今朝則現校長の発言とも重なる。また、さかのぼれば、「良いものは、良いのだ」という田辺国男前同窓会長の発言(『同窓会誌』1980年)の非論理性にも通底している。そこには「校歌への異論は許さない」という暗黙の了解(日川タブー)があり、その背後に不穏な圧力装置が存在することは、以下の「校長小突き事件」に至る一連の動きが明らかにしている。東京高裁へ提出された「山本証言」から事件の概要を記述する。
 「山本証言」によると、山本校長が同窓会の席で校歌改定へ意思を示したのは、11月3日の同窓会総会の約1ヶ月前の理事会だったという。その席で反撃に出たのが前述の有賀茂氏だった。「それは校長の考えなのか、それとも職員の間にそういう考え方があるのか」との有賀理事の質問に対し、校長が「私個人の考えです」と答えると、「校長個人の考えで校歌を変えようとは許さん。同窓会の名において許さん」と、「まなじりを決して」言ったという。同席した他の理事からも「その問題は今までも何回も問題になっている」、「どこまで行っても平行線だ、およしなさいよ」などの忠告がなされたというのだ。結局、山本校長は「先生方のそういうご意向を参考にしまして、もう少しよく考えてみますと、そう引き下がらざるを得ませんでした」と証言している。

小突かれた校長

 「山本校長小突き事件」が起こったのは、理事会の日から1ヶ月ほど経った11月3日の同窓会総会当日のことである。事の顛末については、東京高裁に提出された山本元校長の「陳述書」(録音テープ)から引用する。聞き手は原告代理人の遠藤比呂通弁護士である。
  代理人「そういう祝辞を述べた11月3日、これは1985年(昭和60年)ということになりますよね。その終わった後何かありましたか。」
  証人「その同窓会総会が終わった後です。校庭を歩きながら、平素私の親しくしておる同窓会の理事の一人が、山梨県議会議員をその当時現職でやりましたが、肩を並べながら、いきなり言うのに、『校長、校歌を変えるじゃあねえぞ』、『校歌かえるじゃあないよ』と言ったのかな。もっとまろやかな言葉かな、『校長、校歌変えるじゃあねえよ』という山梨県の方言みたいな、そういう言葉で私の並んで歩いている肩をこうやって、小突いたんです。」
  代理人「『こうやって』というのは、ひじ鉄をくらわせるというようなかたちで。」
  証人「そうです。ひじ鉄をくらわせるようなかたち。」
  代理人「校長先生にそんなことをしたんですか。」
  証人「ええ。」(後略)(『山梨県民の会ニュース』第23号)
 山本氏の証言から、小突いたのは当時県会議員をしていた同窓会理事であることがわかる。それより1ヶ月前の理事会で「校歌を変えることは許さん。同窓会の名において許さん」と述べた有賀氏と、「校長、校歌かえるじゃあねえよ」と言ってひじ鉄を喰らわせた人物は、同じ同窓会の理事である。校歌に権限をもつ山本校長は、「校歌擁護派」の同窓会から恫喝と暴力を受けたのである。
 有賀氏は、「校歌擁護派」の実行部隊長として多くの場面で重要な役割を果たしてきた人物である。『日川高校物語』(214頁)は有賀氏について、「かつて『日本の強さは天皇陛下万歳といって死ぬ軍隊と児玉機関』と評された『児玉機関』の知恵参謀」と紹介している。
  「汝が命生けらむ限り、いそしみて、いさをを立てよ。国の為――。民族の為――。
 虔々し 勅のまま。」(『日本浪漫派・その周辺』29頁)
 これは折口信夫(釈超空)が慶応義塾大学出陣学徒壮行会に寄せたという「出陣歌」である。有賀氏は、学生時代に折口信夫から教えを受けたと自負する人物だ。この歌は、「天皇の勅もち 勲立てむ時ぞ今」と歌う日川高校校歌とうりふたつである。筆者の栗原克丸氏は、「彼(折口)はその超国家主義思想をいささかも変えることなく、戦後の民主主義を全否定しつづけて、先年世を去った」(『同』35頁)と書いている。有賀理事も地元新聞の読者欄(『山梨日日新聞』1980/9/16)に「戦争協力者として自責も矛盾も感じていない」と自説を投稿しているが、恩師である折口信夫の戦後と自らのそれを重ね合わせていたのではないか。「自責も矛盾も感じていない戦争協力者」が自己の免罪と日川高校校歌の免罪とをリンクさせるという正当化の論理は、「昭和天皇の免罪」とどうつながるのであろうか。                                 (2007/12/7)


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