返信T 淡路克浩 様  <「地獄の一週間」について>

 メールうれしく拝見しました。先生のメールは、後述の「一高校教師」からの手紙とともに、石和に出かけていった私にとって大きな収穫となりました。このようなかたちでメールをいただければ、返信のかたちでホームページへ書くことが可能になり、議論の形式に近づいて行きます。
 当日は現役の高校の先生方からいろいろな質問を受け、「日川高校校歌問題」とは何かについて、幾分なりとも理解していただけたのではないかと思っています。交流会の会場において、先生から今回「議論の場」に掲載させていただいた内容の話をしていただきましたが、きょうは返信として、「地獄の一週間」とよばれる日川高校のオリエンテーションについてふれてみたいと思います。
 まず最初に、「地獄の一週間」という呼び方は、「外部」の人が名づけたのではなく、学校側の表現であることをあきらかにしておきたいと思います。『百年誌』はこの行事について、「生徒会役員と応援団が中心となって、新入生に対し、高校生の心構えを教え込むこの行事は生徒に強いインパクトを与えてきた。オリエンテーションの中に、もっとも日川らしさが凝縮しているのである」と書き、さらに、 「オリエンテーションを終えた生徒は精神的に一皮剥けて、はじめて真の日高生の仲間入りをすることになった。やっている時は苦しいが、やりおおせた満足感があるという声が多くの生徒から寄せられてきた。」と、生徒たちの声を伝え、その心理にふれています。
 「精神的に一皮剥ける」とか「真の日高生」になるとは一体どういうことなのでしょうか。なぜ「地獄の一週間」が必要なのか、そこにどのようなねらいがあるのでしょうか。インターネットを覗くと、ある学校ではオリエンテーションは2日間だけで、上級生・下級生が対面方式であいさつをかわす事例が紹介されています。なぜ日川は一週間でなければならないのでしょうか。
 日川のオリエンテーションについては何度もテレビで放送されているので、山梨県民なら知らない人はいないでしょう。いくつかある中で私が忘れられないのは、1987年にNHKが放映した「15歳の荒行」という番組です。番組名から想像できるように、NHKは日川高校が新入生に課すこの行事を肯定的に描いていましたが、内容を見た私は唖然としました。私が生徒だったときも校歌指導の理不尽さを感じましたが、その番組をみたときは怒りに変わりました。人権侵害という言葉が浮かんできました。体育館に正座をさせられた坊主頭の男子生徒は身じろぎもせず、真剣なまなざしで壇上を見上げ、女生徒の多くは泣いていました。家族にさえ、あれほど頭から怒鳴られることはないでしょう。残念ながら、その番組はビデオにとってありません。しかし、その番組を見ながら、私は新入生の態度に奇妙な変化を感じたのです。
 最初は恐怖心を隠さなかった女生徒たちですが、数日後には応援団長の指示通りにできるようになります。そして、必死の表情は最初と変わりませんが、少し安堵の表情が見えてきます。「地獄の一週間」が終わりに近くなると、弱々しくみえた生徒たちに自信の表情が浮かぶようになります。応援団長の指示通りに動けるようになるからです。最初恐怖と憎しみの対象にしか見えなかった応援団長が、次第に「日川魂」を体現するリーダーとして見えるようになります。オリエンテーションが終了し新入生が体育館を退場するとき、団長はこう語りかけます。「みんな、よくがんばった。これで君らは日川の一員だ」と。声をかけられた女生徒の多くは涙を流します。これは解放感と感激が入りまじった涙であり、私はこれを「日川人」になるための通過儀礼だと思っていますが、上級生の励ましを得て困難な修行をやり終えるときかつて味わったことのないような高揚感を覚え、強い連帯意識がめばえてくるのです。しかし、卒業者たちの多くは「地獄の一週間」をなつかしさを込めて語りますが、その感想は一様ではありません。二人の卒業生の報告を聞いてみましょう。
「私の場合オリエンテーションで実際に一番印象に残っているのは、校歌の練習中にいきなり殴られたことでした。(略)歌詞の内容が良いか悪いかはともかくとして、入学早々の生徒たちをいきなり暗い場所に連れて行き、正座させ、緊張の極にいる生徒に大声を出させる。ああいうやり方がいいのかどうか。あれは昔の軍隊の新兵教育そのものだと思います。」
   (萩原敬 高24回 1972年卒 『シンポジウムの記録』)
 「(総合選抜制度のために)日川を希望していない生徒が入学しているのに、校歌の説明もせず、ただ紙切れ一枚を配り、『オリエンテーションの時に歌えなかったらえれえことになるど』と脅し口調で言うわけです。(略)オリエンテーションも真っ暗闇の中で正座をして、両手を挙げ集団で意味もわからないまま校歌を斉唱し、歌えない者は前に出させるという光景は、今話題になっているオウム真理教の修業の姿と重なる部分があるのではないかと思います。(略)日川高校の校歌やオリエンテーションはマインド・コントロールそのものだと言って過言ではないと思います。」(大村祐司 〔高校3年〕高48回卒 1996年卒『シンポジウムの記録』1996年)

 萩原氏は「地獄の一週間」を「昔の軍隊の新兵教育」にたとえています。旧日本軍の新兵教育においては、表向きは陸海軍とも私的制裁は禁じられていましたが、実際は「精神注入棒」というリンチ専用の道具がどこでも見られたと言われています。『日本軍隊用語集』(寺田近雄)は「理屈ぬきで海軍精神を注入する」この「精神注入棒」ついて書いています。
 「カラスと呼ばれた新兵が海兵団にビクビク入ってくる、あるいは愛国の情に燃えた紅顔の少年志願兵が予科練として練習航空隊に入ってくると、待ち受けているのがこの精神棒で、ことあるごとに整列させられ、思いきり尻を叩かれる。(略)はじめは海軍精神の痛さに泣いた新兵たちも、昇進して上級者となるとにわかにこれを肯定し、被害者が一転して加害者になって、この悪習は伝統化していった。この痛みはいつのまにかマゾヒズムのようになって、戦後平和が到来してもう叩かれることもなくなると、妙に陶酔した表情でこの精神棒の味を語るようになる。」(236頁)
 この描写は日川高校のオリエンテーションを彷彿とさせます。理屈ぬきで「日川精神」を注入され、「地獄の1週間」を味わったはずの新入生が上級生になると一転して彼らは新入生に対する加害者となり、恐ろしい上級生に変わるのです。まさに伝統化した日川の悪習といわなければなりません。
 2年ほどまでのことですが、YBS(山梨放送)が製作した「いきいき!夢キラリ」という番組が放送されたことがありました。私がもっているのはそのビデオで、「創立105年の日川高校」とありますので、2006年のことだと思います。
 まず、「日川は変わった」というナレーションが入ります。応援団のきびしさで団員が減り、今は3人しかないと言います。男子生徒は運動部へ入部し、団長は3年続けて女生徒だそうですが、顧問の先生は団員が少ない理由として、「応援団のきびしい練習が第一印象にある」と語っています。「地獄の一週間」初日の画面には十数人の男子生徒の姿が映し出されますが、彼らは協力依頼を受けて応援団員役に応じた生徒たちで、本物の応援団員ではありません。
 4月に団長の「初仕事」が始まります。「学らん」を着ている女生徒の団長姿は、男子生徒そのものです。例によって、先輩たちにせきたてられた新入生たちが息を切らしながら体育館に飛び込んできます。「1年生が自分を見直すために会場を暗くするのが伝統です」とのナレーションが流れます。相変わらず暗くしていることがわかりますね。目が暗闇に慣れてくるころ団長が入場し、男子の団長さながらの方言をまじえた口調で話し始めます。
 「これから応援練習を始めるわけだが、その前におまんとうに(君たちに)言っておきたいことがある。おまんとうは先生や先輩に会ったとき、きちんとあいさつをしてるだか(しているのか)! 朝先輩や先生に会ったとき、きちんとあいさつしてるだか! 朝先生や先輩に会ったときは、「おはようございます!」(「協力をお願いした男子生徒の声」)、校内で先生や先輩に会ったときは「こんにちは!」(「同」)、放課後先生や先輩に会ったときは「さようなら!」(「同」)。このようにきちんとあいさつするように。いいな。「返事!」(「同」)「はい!」
  「リーダーを見てろ!」「はい!」
  「何してた! はっきり言え!」。「返事!」「はい!」。
  「やれ!」「ちゃんと見てただか!」
 罵声だけは相変わらずですが、今では叩いたり蹴ったりはしないようです。アナクロニズム(時代錯誤)の校歌を歌い続けている高校のアナクロニズムの行事だと思うのは私だけでしょうか。一時代前のオリエンテーションでは、会場の正面には大きな日の丸が垂れ下がっていましたが、この画面には映っていません。番組の最後にディレクターは、「バンカラ応援団は時代遅れかもしれない」としながらも、「個人が尊重される時代、みんなでまとまってひとつのことをやることのむずかしさを教えてくれた」と締めくくっています。文字で書けばこれだけのことで何の問題もないようにみえますが、この「地獄の一週間」が規律や団体精神の涵養と深くかかわっていることは理解できます。このオリエンテーションについて第23代山本校長は東京高裁に提出した「山本元校長証言」の中で、こう語っています。聞き手は遠藤比呂通代理人です。
 代理人  「これは学校の方針として職員会議で決議して、いわば職員会議にかけて、校長が学校行事としてオリエンテーションをやっているわけですよね。(略)まさに日川魂というか、日川教育の中核にあると、こう考えてもよろしいんでしょうか。」
 証人  「そんな感じがしました。従ってその一週間後、まあこれを地獄の一週間といいますが、それを済ませた生徒の態度は入学以前、入学当初と比べると、がらっと変わりますから、たしかに、そういう効果はあったと思います。」
 この行事で大事なことは、この行事に校長以下の教職員が許可を与えているという点です。新入生たちは「地獄の一週間」の応援団の理不尽な行為が学校のお墨付きを得ていることをよく知っています。ある年のことですが、この暗黙の了解事項をよく理解してない新入生がいました。彼はプロレスラーのような体格をもっていました。上級生の理不尽さに「頭にきた」彼は横柄に振舞う応援団の一人を物陰に連れて行って、ボコボコにしまったというのです。上級生に手を出した新入生は、応援団員全員から呼び出しを受けたわけではなく、逆にその「質実剛毅の反骨精神」ゆえに、先輩たちから一目置かれる存在になったという話を聞いたことがあります。
 屈強な体格の持ち主である新入生は「質実剛毅の日川人」として畏敬されることになりましたが、応援団員を「ボコボコ」にできないふつうの生徒たちの心理はどのように変化するのでしょうか。
 私が関心をもつのは、戦後も「天皇の勅」を称える校歌を手放さなかった日川高校の校歌教育と、「教学聖旨」(1879年)との関係です。このあたりについては山住正己氏が『教育勅語』の中で書いています。
 「教育勅語発布に先立つ1880年代に、注入を排し、心性開発を目指すペスタロッチ主義の教授法が輸入され、大いに宣伝された。しかしそれより先に教学聖旨では、仁義忠孝の心を、他の考えが先入主とならぬうちに、『脳髄ニ感覚セシムル』必要を説き、進んでこれを具体化し、絵図や写真を活用する直観的教授的な方法まですすめられていた」(125頁)。
 私は今後「地獄の一週間」と「日川教育」の関係についての研究がなされる場合、「ペスタロッチの教授法」と明治天皇が「教学聖旨」で示した「脳髄ニ感覚セシムル」教授法との比較をしてみる必要があると思っています。ペスタロッチが目指した教育とは、子どもが自らつよく生きようとする気持ちを信頼したもので、子どもの資質を自然と調和させることを強調した教授法だといわれています。「天皇の勅」を校歌にもつ日川高校の「地獄の一週間」とは、「脳髄ニ感覚」させる教育勅語下の教授法と同じではないでしょうか。そのメカニズムについては、この「議論の場」を通じて専門家たちのご意見をお聞きしたいと思っています。
 最後に一つ付け加えたいと思います。それは日川高校は「文部省も不思議がる」学校と自画自賛した校長がいたことです。『百年誌』に「日川高校詩」を載せ「須く期すべし神州第一の黌」と書いた第16代近藤百之校長がその人ですが、『同窓だよ』20号で「日川教育」についてこう述べています。
 「42年、3年頃の大学の後をうけての高校騒ぎ、特に普通科高校長は心配なさった様である。(略)わが日川高校は微動だもしなかった。朝の校長訓話で、『お前たちはなぜやらないのか、たまには校長室でも占拠したらどうかね。つきあいという事もあるよ。もしやる時は条件が一つある。一番強いゲバ棒とヘルメットを校長先生専用と書いて持って来てくれ。私は先頭に立ってやる』 生徒全員ただ笑うのみ。生徒会長が言った。『日川は他の学校の真似はしません』と。事実その通り。その頃、文部省でも不思議がって注目し、教育実態、学校管理を聞かせてくれと頼んで来た。」(『同窓だよ』20号 8頁 1982年)
 淡路先生、先生への返信として日川高校のオリエンテーションについて短い文章を書いてみました。「地獄の一週間」について原告たちは、この行事と「子どもの権利条約」との関連についても関心を向けており、専門家による多面的な検証の必要性を感じています。その意味で、今後も先生のお考えをお示しいただけたらうれしく思います。   (2008・2・18) 河西 久

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