返信U  「一高校教師」 様  <ネガティブなのはだれか>

 先生、ごていねいなお手紙ありがとうございました。読ませていただきながら、私は「一高校教師」からのこの手紙に誠意を感じました。現役の高校教師が何はともあれ反応してくれたという事実に誠意をみたのです。振り返ってみると、校歌擁護派である同窓会はもちろん、山梨県の小・中・高の教員の方々からも「日川高校校歌問題」に対する反応はほとんどありませんでした。日頃名前を聞く教職員組合を訪れて理解を求めても、困惑の態度を示されるのがいつものことでした。今回の裁判に関わった中には教員もいましたが、多くの教員の方々は「天皇の勅もち」の校歌に疑問を持ちながらも、沈黙を続けなければならない事情があるようです。
 先生のお手紙を読んでいろいろなことを考えさせられました。いくつかを述べてみたいと思います。まず第一に申し上げたいことは、先生が「校歌に批判的な外部の者」とか、「校外のものがよってたかって」というような表現を使っている部分です。
 すでにホ−ムページ上で書いたことですが、日川高校校歌に異論を申し立てているのは日本国憲法や教育基本法をはじめとする法的規定であって、私たちが独自の論法を根拠に申し立てているわけではありません。東京高裁も「歌詞が日本国憲法の精神に沿うものであるかについては異論があり得る」と言っているのです。そのような声に対し学校は議論を拒否してきましたし、日川高校の設置者である前山梨県知事は一審段階において、校歌に歌われる「天皇の勅」が教育勅語であるか否かについては「不知」と、まるで部外者であるかのような回答を寄せています。日川高校の設置者として「異論がありうる」とか「調査中」というのではなく、「知らない」「わからない」と答えているのです。
 先生への返信としてはっきり申し上げたいことは、山梨県の高校教師である先生は「日川高校校歌問題」の直接の当事者であるということです。教師には異動がありますから、来年は日川高校に異動になるかもしれません。そうなれば、先生は4月の入学式からはじまる年間行事の中で「天皇の勅もち 勲立てむ時ぞ今」と生徒に歌わせたり歌わなければならなくなったりする可能性があります。先生はこの校歌に対する態度をあきらかにしなければならなくなるのではないでしょうか。どういう表情をして歌ったらいいのか。直立不動で歌うのか、沈黙して歌わないのか、あるいは歌っているふりをするのか、判断を迫られます。また生徒から校歌の意味を聞かれれば、答えなければなりません。校歌に疑問をもちながらも何らかの思惑や圧力があって沈黙を守るというならば、先生はこの校歌のタブー化に手を貸すことになります。 
 仮に先生が校長に対し、伝統のシンボルとあがめられている日川高校校歌についての考えを聞くとしたら、どのような回答が返ってくるのでしょうか。校長は顔をしかめるか、不快感を示すでしょう。説明は一切しないでしょう。そうなると、先生にとって居心地の悪い職場になるでしょうね。こうして、多くの先生方が異動を繰り返すことで山梨の教育を取り巻く空気はますます堅苦しいものとなり、自由にものを言える環境は狭まっていくのです。
 第二番目に申し上げたいことは、現市川今朝則校長の「生徒は歌詞の意味を意識していない。単にフレーズとして歌っている。」との発言についてです。この発言を先生はどう思われますか。これは「日川教育」にかかわっている先生方にとって重大な意味をふくんでいます。注意したいことは、「生徒は歌詞の意味を意識していない。」という校長発言は、教育現場の責任者の発言としては適切ではないことはもちろんですが、歴史的にみれば不適切だとは言えないことはないのです。戦前・戦中を記憶する支配者側からみれば、儀式において臣民(教師や生徒)が厳粛に天皇を称える校歌を歌うことが重要なのであって、必ずしも意味内容を理解することは必要ではないのです。1879年の教学聖旨が「脳髄ニ感覚」させることが重要な手段だとしたように、「意味を理解すること」は二義的なことにすぎないのです。戦前・戦中の教育においては、教師が命じたことを生徒が命じられたとおりに行うところに重点が置かれていました。これに関連して、『山梨日日新聞』に載った記事(1995・10・19)を参考にしてみましょう。登場する中村氏は日川高校がある山梨市の現市長です。
 「中村照人県議(自民・山梨)は18日、『すめらみこと(天皇)のみこと(勅)もち…』と歌い継いできた県立日川高の校歌改定論争について、『戦後もこの校歌を歌ってきたからといって、皇国史観を植え付けられたわけではないし、伝統ある校歌として自然体で歌ってきたつもり。個人的には、歌詞の一部分だけ取り上げて改定云々というのは、いかがなものかという気がする』と感想をもらした。中村県議は同窓会副会長の一人でもあるが、『君が代』にしても反対してきた政党(社会党)が容認する時代。果たして今変える必要があるだろうか』と、『戦後50年』でにぎやかになった改定論争を歓迎したくない様子。」
 中村氏は「皇国史観を植え付けられたわけではない」と述べてはいるものの、「地獄の一週間」とよばれるオリエンテーションの場で校歌を叩き込まれた記憶はあるはずです。校歌の説明がないまま暗い密室状態の体育館で校歌練習を強制されるという形式は日川の伝統であり、基本的に今も変わっていません。繰り返しますが、生徒は意味がわからなくでも不動の姿勢で「天皇の勅」を称える校歌を歌うことさえできれば、支配者たちの意図は実現されることになるのです。
 同窓会や歴代校長らは、「天皇の勅」を称える戦前につくられた校歌が、日本国憲法の精神との間で齟齬をきたしていることは十分認識しています。中村氏も日本国憲法下の政治家です。校歌の歴史的な意味を理解し、現憲法にそぐわないことを理解していても、それを明言するはずはありません。発言すれば校歌の改定につながりかねないし、保守派としての政治的結束にも影響が出てくるからです。加藤正明現同窓会長の「教育勅語ではなく、国民の幸せや世界平和を願う天皇陛下の言葉と考えればいい」という認識も地域の政治性と無関係ではないでしょう。
 山梨は親分・子分の関係が色濃く残る保守的な地域です。学校や同窓会は「日川高校校歌は合法である」という言い方はできないことを知っています。「伝統の校歌だから変えない」というだけです。山梨では生活レベルにおいてはいまだに「世間の論理」がまかり通っています。世間というのは暗黙の了解で成り立っていますから、彼らは時と場所をうまく使い分けます。公的には「歌詞の一部だけ取り上げて改定云々というのはいかがなものか」とトーンを下げる一方で、暗黙の了解が通用する身内においては、「全国でも稀有な校歌」であると豪語するのです。
 第三に申し上げたいことは、先生がお手紙の中で、「日川高校校歌問題」を提起し訴訟に持ち込んだ私たちの行動を「ネガティブ」なものと書いておられる点です。1985年に「日川高校校歌問題」を最初に取り上げたのは、山本昌昭第23代校長でした。現職の校長でした。山本校長は内部の人間として内部の人々に対して問題提起を行いました。この山本校長の行動は「ネガティブ」なものだったのでしょうか。私は日川の出身であり上下関係を重視する日川の校風で育った人間ですから、いくら正論とはいえ、地位や立場をわきまえずに自発的に声をあげるというような勇気はありませんでした。校歌に権限を持つ校長だからこそ山本氏は、「校長の責務」として声をあげたのです。私にしてみれば、結果的に、雲の上の人のような存在の校長に従って歩いていけばよいことになりました。
山本校長は、教職員にはもちろん、同窓会にも何度か手紙を出して議論の場を設けるよう働きかけました。しかし、校長を積極的にサポートする先生は現れなかったのです。結果は「校長小突き事件」でみたとおりです。山本校長が「ネガティブ」だったのか、山本校長の声に反応しなかった先生方や生徒たちが「ネガティブ」だったのか、議論を拒否する学校や同窓会が「ネガティブ」なのか、一体、だれが「ネガティブ」なのでしょうか。山本校長は立場上原告にはなりませんでしたが、毎回裁判に出席しました。校長の行動は強い愛校心の発露であると私は思っていますし、私自身の行動も自らの良心と愛校心に基づいたものであることをあきらかにしておきたいと思います。
 以上、先生のお手紙への返信として書かせていただきましたが、回答として不十分なものであることは承知しています。問題はあまりに深く多岐にわたっています。今後いろいろの人々の声をお聞きしながら、このホームページ上の「議論の場」で意見交換をしていきたいと考えています。お手紙ありがとうございました。          (2008・2・18)  河西 久

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