20世紀星空アルバム
 2000年12月19日は、大友哲の43回目の誕生日です。そして天体望遠鏡で星を
見るようになってからちょうど30年目に当たる記念すべき日です。
 13歳の誕生日に前からほしかった天体望遠鏡を買ってもらいました。ただし年初めに
もらったお年玉と翌年のお年玉も含めって買ってもらいました。随分ケチな親でした。で
も家1軒分の学費を出して歯学部に行かせてくれた事は感謝しています。(親は歯科医で
は無くサラリーマンです。)
 初めて手にして眺めた星空は感動の連続でした。ちょうどその頃明け方の空には、金星
と木星が明るく輝いていました。キラキラ光る金星を望遠鏡で眺めたとき、虹色の美しい
輝き、木星の4大衛星と縞模様に感動しました。夕方の空には土星が見えていました。小
さいけれど写真のように美しい輪。土星は今年と同じおうし座に見えていました。公転周
期30年の土星は、あれからやっと太陽の周りを1周したのでした。人の一生では長いと
感じる30年も、宇宙ではたったの1年なのです。そして2030年にもし生きているな
ら73歳になっているはず。どんな人生を送っているかな?過去30年を振り返ってみま
ました。
1957年12月19日、東京都三鷹に生まれる
 広い芝生の庭で遊ぶお坊ちゃまでした。現在この庭は、両親の家庭菜園になっています。
 小学校4年頃、近所の同級生に天体望遠鏡で見せてもらった月に感動して星に興味を持
つ。1969年にテレビでアポロ宇宙船月着陸の模様を見る。1970年、13歳の誕生
日に親に買ってもらった天体望遠鏡で星空観察を始める。
 
1972年初めて描いた木星のスケッチ  1972年に描いた星雲
 1972年、初めて撮影したオリオン座
この当時の東京・三鷹は、現在の甲府と同じぐらい、光害がひどく天の川は見えなかった。

1973年12月天文と気象に初入選
 1973年7月、高校1年生の夏休みに、中学時代の友人と清里に3泊でキャンプに行
って撮影した天体写真が初めて雑誌に入選しました。中学3年生のときに、三鷹市内に住
む天体写真家の平林茂人さんを訪ね指導をうけた事によりこのような星の写真が撮れるよ
うになりました。1973年12月号の「天文と気象」に入選しました。この号には、翌
年に明るくなったコホーテク彗星の特集記事が載っていました。しかし翌年骨折して彗星
の撮影には行けませんでした。

 手作りのホータブル赤道儀1973年製作
 中学を卒業した春休みに、友人のM君と東京郊外の陣馬山(有名な高尾山の隣)に星を撮
影しに登りました。山のふもとに着いた頃には暗くなっていました。山道で知り合った地
元の方が私たちを心配して頂上まで案内してくれました。そして1晩中ついていてくれま
した。もし焚き火でもして山火事になったらと心配していたのでした。翌朝ふもとの家で
朝食をご馳走してくれた上に車で三鷹まで送ってくれました。ただ残念だった事は、陣馬
山では、光害がひどくて良く星の写真が撮れませんでした。もっと別の撮影場所を探さな
ければと思いました。ちょうどその頃同じ三鷹市内に平林茂人さんが住んでいて毎月のよ
うに天文雑誌の読者の天体写真に入選していました。私の母は「訪ねてみたら」と薦めて
くれました。
 近くに住んでいた平林さんは、東京工業大学の学生で、現在コニカで研究者をしていま
す。その当時進学校だった都立立川高校から大学に進学された優秀な方でした。フィルム
や写真の現像に関する知識も豊富でいろいろな事を教わりました。そして最も影響を受け
たのがポータブル赤道儀の製作です。星野写真の撮影には、星の動きを追いかける赤道儀
が不可欠でしたが、当時は大きな重い市販の赤道儀しかありませんでした。また光害を逃
れる為に、それらの機材を運ぶ為には車が必要でした。しかし学生の身分では車を持つこ
とは不可能でした。その為に電車で移動できる小型の赤道儀を自作する事がはやり始めて
いました。平林さんは、金属のアルミニウムではじめて赤道儀の製作を試みた人でした。
 私は平林さんのアドバイスを受けながら、改良を加え写真のような赤道儀を全て手づく
りで完成させました。また電車で行ける手軽な観測地として、奥多摩や清里を教えてもら
いました。そして高校1年の夏休みに初めて訪れた清里で撮影した夏の天の川の写真が天
文雑誌に入選しました。

    
1976年10月清里の美しの森にて 1976年12月県営スキー場にて
 高校時代の3年間、ほとんど友達付き合いもせずに一人家にこもって赤道儀の製作にう
ちこんでいた私は、あまり勉強しなかったのにもかかわらず、無事、日本大学松戸歯学部
に合格しました。そして更なる改良型の赤道儀製作と、天体写真の撮影に清里などに行く
日々が続きました。

 1976年秋の清里


  白鳥座の天の川・1977年7月20日木曽駒が岳にて撮影
 大学2年の夏休みに中央アルプスの駒ケ岳に登りました。この山は、飯田線の駒ヶ根駅
からバスとロープウエイを乗り継いで標高2600mの千畳敷カールまで登る事が出来ま
す。そこから歩いて約1時間で2900mの駒ケ岳の頂上にたどり着く事が出来ます。駒
ケ岳頂上直下のキャンプ場にテントを設営して一人で3泊しましたが、あいにく天候が悪
くて星の写真撮影は出来ませんでした。帰りは旅費を節約する為に歩いて木曾谷の上松駅
まで下りる事にしました。ところが、荷物が約30kgと重かったために予定通り下りる
事が出来ませんでした。そして標高2000mの山小屋で夜を迎えてしまいました。その
山小屋は無人で、たまたま予備の食料が一食分残っていたために事無きを得ました。そし
てその夜は晴れてしまいました。翌日は、ほとんど食料が無い為空腹に耐えながら上松駅
まで下りました。
  表紙に写真が載りました
 天文ガイド別冊の表紙に自作した赤道儀が掲載されました。右と中央
 自宅の庭で写真撮影が行われました。編集者は、現編集長の高槻さんです。
 大学3年生の夏休みは、天文ガイド編集部の取材に同行させて戴きました。福島県の浄
土平で、「星空への招待」という星まつりが毎年夏に前年から開催されていました。その
星まつりでは、会場内で、自作望遠鏡を持ち込んで自慢する催しが行われていました。天
文ガイド編集部では、それらの自作望遠鏡を取材して一冊の本にまとめようと言う企画が
行われました。私は、平林さんと共に天文ガイド編集部の車に便乗させてもらう事になり
ました。前年から山登り専用の新型で軽量の赤道儀を製作していて、このイベントに間に
合わせる為に寝る時間も切り詰めて作業を進めてきました。そしてまだ一部未完成ながら
ぎりぎりでイベントに持ち込む事が出来ました。その製作記事が翌年の天文ガイドに掲載
されました。天文ガイド1979年2月号の記事へ
 イベントから帰った翌月の1978年8月下旬、北アルプスへ新しい自作赤道儀をかつ
いで出かけました。天候にはあまり恵まれませんでしたが、69版カメラで撮影した、「
常念岳と昇るオリオン」の写真が表紙に掲載されました。

 夏の大三角形と天の川・清里にて撮影

つづく 

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