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シェルパ斉藤の過去のつぶやき
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201465
キャンピングカー、フォルクスワーゲンのユーロバンを譲ろうと思う。

このクルマが嫌いになって、手放すわけではない。

いまでもこのクルマが大好きだ。旅に出るクルマとしてこれに勝るクルマはないと思っている。運転していて楽しいし、駐車スペースさえあればどこでも快適な旅の宿になる。キッチンやトイレといった設備がないシンプルさも、バックパッカーの僕にはぴったりだ。

それほどまでに気に入っているユーロバンをなぜ手放そうとしているのか?

その理由は、もういいんじゃないかなという思いが強くなったからだ。

妻ひとりと息子2人と犬2頭。僕ら家族はユーロバンで日本全国を巡ってきた。

おそらく100泊近くユーロバンで夜を過ごしたと思う。

しかし子供たちは大きくなり、一緒に旅に出る機会がほとんどなくなった。妻と僕、犬たちだけの旅にこのユーロバンはオーバースペックじゃないか、と感じるようになった。

さらに先月、軽ワンボックスカーのホンダ/バモスホビオでセンポと旅に出たら、これでじゅうぶんだとも思った。

ユーロバンに比べたらかなり狭いけど車中泊も可能だ。2人用テントよりも車内は広い。限られた装備で相違工夫して狭い空間を快適空間に築くスタイルはバックパッキングの旅に通じる。バックパッカーの僕には、小さなクルマのほうが合っているかもしれない。

だから、ユーロバンは10年前の僕らのように家族みんなで旅に出る一家に託したい。

データを記すと、

フォルクスワーゲン/ユーロバンMV ウエストファリア仕様 1993年 走行距離11万5千km、価格はジャスト60万円。

車検はつい先週とったばかりだから(前回の車検ではタイミングベルトやイグニッションコイル、ブレーキホースの交換等、専門店で徹底的に整備点検してもらったから45万円かかったが、今回は10万円で済んだ。タイヤはスリップサインが出ていたので4本とも新品に交換。その費用が8万円かかった)、これから2年間はおそらく問題なく乗れるはずである。

ただし、古いクルマだからトラブルがないとはいい切れない。修理する場合は並行輸入車なので、フォルクスワーゲンのディーラーではみてもらえない。

そんなハードルを乗り越えてでも、欲しいという方はメールで管理人のアドレス宛てに連絡してもらいたい。

s-kyoko@eps4.comlink.ne.jp

すでに希望者が何組か名乗りをあげているけど、門戸を広げたいと思う。

僕は6月6日からスペインに旅立つ。

帰国は23日で、それ以降に譲渡を予定している。

希望者が多数いる場合は、『シェルパ斉藤のファン度』を選考基準にするつもりだ。
 

20143月5日
 ザ・ローリング・ストーンズのコンサートに出かけた。

 若者もいるけど、客層はぼくよりも年上が中心。後ろの席には60代らしき親父さんとその息子が座っていて、親父さんは開演前に「トイレにもう一度行っておこうかな。最後までもつかな」とトイレの心配をやたらしていたし(聞くつもりがなくても会話が聞こえてしまうのである)、前に座っている女性も男性もおそらく団塊の世代だろう。ロックコンサートの観客とは思えない地味な色の服装を召していた。

 ストーンズはそんないい年をした大人たちを1曲目の『スタート・ミー・アップ』からガツンとかましてくれた。もちろん、ぼくもその瞬間ぶっ飛んだ。

 演奏の質がどうのこうの、の話ではない。顔が判別できない遠い席でもかまわない。この時間、この空間をストーンズと共有している。50年間転がり続けている、こんなすげー奴らと同じ場所でいまを生きている。その事実だけで、ぼくは胸がしめつけられて、涙がこぼれそうになった。

 20数年前、初来日したストーンズにぼくはおおいに刺激を受けた。ストーンズはもう50歳になろうとしているのに昔とまったく変わらず、現役バリバリで「イッツ オンリー ロックンロール!』と転がり続けている。本物はああでなくっちゃ。ぼくも見習おう。ストーンズを大きな目標にがんばろう。50歳になっても、歩いたり、自転車に乗ったり、野宿したり、ヒッチハイクするバックパッカーで居続けよう。体を張って旅を続けて、バックパッカーのストーンズをめざそう、と三十路そこそこの若造だったぼくは誓った覚えがある。

 それがどうだ。もう70歳だというのに、ストーンズは衰えてないじゃないか。太陽のように手の届かない世界でギラギラ輝き続けている。自分はもう年だから、なんて絶対に言っちゃだめだ。そんなことを考えること自体がはずかしい。転がり続けなきゃ。悟っちゃだめだ。満足しきってたまるか!

 そう胸に誓ったのは、ぼくひとりだけではない。会場にいた大人たち、みんなの想いだろう。

 ストーンズにはおおいに鼓舞された。そして新たな目標ができた。70歳までバックパッカー。70歳で「イッツ オンリー バックパッキング」といえるバックパッカーでいよう。そう誓った、東京ドームの熱い夜だった。

 というわけで、ストーンズに触発された20年前の誓いを自分なりに達成した新刊、出しました。。3月で53歳になるけどいまだに現役のバックパッカーであることをこの証明していることになるのかな。

『シェルパ斉藤の元祖ワンバーナークッキング
10年前に出した『シェルパ斉藤のワンバーナー簡単クッキング』のコンプリート版です。装いを新たに一回り大きいサイズにして、全ページカラーの読みやすいデザインになってます。前作で好評だったレシピのベスト9に加えて、新作41のレシピを紹介してます。前作では常温保存できない食材やパッキングしにくい食材を使ったレシピも掲載してますが(ホーボージュンのチキンコーラ煮など、僕の考案ではなく友人編で掲載したレシピだけど)、今回は生鮮食品は一切使っていません。スーパーやコンビニの食材の充実具合が反映されたレシピばかりです。さらにコラムも充実。裏技1ミニッツパスタを使ったレシピも、あの缶つまを使ったレシピも掲載。まさにリアルバックパッキングのためのレシピ。いや、バックパッカーだけでなく、サイクリスト、ライダー、ドライバー、カヌーイストなど、地球を移動する旅人すべてに捧げるマニュアル本になっています。

 なお、タイトルに元祖、とつけたのは僕ではなく、出版社のリクエストです。「類似本が何冊も出てますが、ワンバーナーの本は斉藤さんが最初ですから」とのことで、他と差別化する意味でもつけたいとのこと。正直、僕は抵抗あったんだけど、編集者の熱意に負けてこのようなタイトルになりました。元祖の名に恥じない内容だと自負してます。ぜひともご購読を。             
                       


2013年4月28日
アメリカのメイン州にいる。

ボストンでレンタカーを借りて、ハイウエイを走ってメインの森に来た。なぜメインの森か? ソローに憧れたわけではない。そこに『わが家のルーツ』があったからだ。

なんのこと? と思うだろう。詳細は6月10日発売のビーパルを読んでもらいたい。

まるごと1冊、アメリカ大特集号になる予定で、その企画のひとつとして僕も『旅の自由型』でアメリカを旅したのだ。
メインの森を訪ねたあとは、フリーポートのL.L.Beanを訪ねて、あのトートバッグやビーンブーツを製造している工場を特別に見学させてもらった。日本から来た著名なバックパッカー、ということになっているみたい。おみやげとして『シェルパ斉藤の世界10大トレイル紀行』と『シェルパ斉藤の八ヶ岳生活』を持っていったのが効いたかな。工場のあとはフラッグシップストアを店長に案内してもらって恐縮。24時間365日営業しているって、やっぱりここは特別な店だ。店員さんが若者だけでなく、年配の人が多くて、この店で働いていることに誇りを持っている姿にも感動した。

アウトドア関係以外では、アメリカのホームセンターに大感激。日本で売ってないものが多いし、品揃えが豊富で、買っていきたいものばかり。このくらいなら持って帰れるな、というものを厳選した。

何を買ったのか、もビーパルを読んでもらいたい。


 
2013年1月25日
トカラ列島に来ている。

21年ぶりになる。

トカラ列島は週に2便しか船がない。ひとつの島に下りたら次の船が来るのは3日後か4日後になる。7つの島をすべて巡るとなれば1ヶ月近くかかる。そこで漁船をヒッチハイクして隣の島まで乗せていってもらおう、というのが、21年前のトカラの旅だった。今回はニッポン村々紀行として、十島村を旅するためにトカラ列島に来た。鹿児島市内で村長に会い(十島村の役場は村ではなく、鹿児島市内にある)、同業のかとうあづみさんが暮らす中之島をまずは訪れた。
21年も経つんだから島も変わったことだろう、と思っていたが、ほとんど変わっていない。
変わりようがない島なのだろう。それこそがトカラの魅力かもしれない。
中之島では普通の旅人ができない体験をして(ナイショ! これから書くであろうビーパルの連載を読んでもらいたい)、変わった旅人にも出会って、おおいに満足できた。
そして、中之島に続き、いまは宝島にいる。ここは中之島と違って、当時との印象が異なっていた。明るい。それに若い人が増えている。
僕が泊まっているのはIターンの若夫婦のゲストハウス。諸事情により、ゲストハウスとしての許可がとれないから、宿泊代は払わず、何か仕事を手伝うかわりに寝床と食事を提供してもらっている。昨日は味噌づくりを手伝った。
今日は脱輪した軽トラを救出した。島民はみな顔見知り。そして旅人である僕も島民に認知される。この安心感は飛行機もなく、週に2便しか船が来ない、つまり人の出入りがない孤島ならではだろう。

島に暮らすのもいいなあ、と八ヶ岳生活の僕は微笑ましく島の風景を眺めている。

ここに本当のスローライフがある。


2012年6月24日 
苦しみに苦しみ抜いて、新刊が出た。

『シェルパ斉藤の厳選トレイルガイド』

4月に出した世界10大トレイル紀行の国内版ともいうべき本で、これまでバックパッキングで旅してきたトレイルの中から、自信を持っておすすめできる全国25本のルートを厳選したガイドブックだ。細かい作業が苦手だった僕は、自分が歩いてきたトレイルを地図におこす作業が何よりつらかった。そしてスケジュールもかなりタイトで、発売の1週間前、僕はエイ出版のピークス編集部に缶詰となり、デザイナーが指定した写真のキャプションを一気に書いたり、リードを書いたり、校了紙や地図をチェックするといった最終作業を丸2日間、編集者たちとともに没頭した。脱稿と校了が同じタイミングという恐ろしい状況で、発売の1週間前に全作業が終了するという、週刊誌をつくっているような進行だったが、それでもどうにか乗り切って無事に本ができあがった。最後はチームプレイでつくりあげた本だと思っている。

世界10大トレイルは紀行エッセイの単行本だが、こちらは全ページカラーのAB版。すぐに旅立ちたくなるガイドブックをめざした。。ロングトレイルはほとんど網羅しているし、独自のオリジナルルートも紹介しているが、すべて実際に歩いて自分で写真を撮ったトレイルである。後ろ姿が多いのは、まあはずかしいからだけど、どの写真もそのトレイルを表しているんじゃないかと思っている。

さあ、これでようやく一段落。自分へのご褒美を兼ねて、今日から2週間、梅雨明けの沖縄をカブでツーリングしてくる。

ヤッホー!

 
2012
年4月24日
新刊が出ました。

『シェルパ斉藤の世界10大トレイル紀行 The World's Best 10 Trails』
 2002年から約10年間、年に1度のペースで海外のトレイルを歩いてきたバックパッキングの旅の集大成です。
 編集は『山と渓谷』誌の元編集長であり、山と渓谷社の図書出版部長である萩原さんが担当してくれました。部長自らが単行本を担当することはないそうですが、「この本はやりたい」と自ら名乗り出てくれました。
 そして装丁と本文デザインは10年以上前にoutdoor誌でお世話になった松澤さんに担当してもらいました。
 僕らは3人で打ち合わせを繰り返し、検討を重ねました。そして写真の選択や構成、文章展開など、練りに練って、納得いく内容に仕上げました。
 旅の写真をたくさん見せたかったので、見開きごとにカラー、モノクロという構成になってます。つまり写真主体の見開きと文章の見開きが交互に織り込まれた構成です。
 写真をきれいに見せるためには光沢のある紙が理想ですが、光を反射して文字を読むときに疲れてしまう。この本は読み物なんだから目に優しい紙を使いましたが、それなのに写真の発色が驚くくらいきれいに仕上がってます。
 萩原さんが印刷工場まで出向き、写真集を手がけている腕のいいオペレーターに色調を細かく指示して、最高レベルの印刷を手がけてくれたおかげです。
 できあがった本をあらためて読み返して、感動してます。
 よくぞこれだけの写真を自分で撮り続けたものだと、われながら感心してしまいます。萩原さんいわく「お世辞を抜きにして、写真集としてもすばらしい出来です。セルフタイマーで写真を撮らせたら世界一じゃないですか」とのことです。エヘン!
 それほどまでに写真には自信がありますが、文章もけっして負けていません。ストレート勝負で素直に情景をつづりました。さらに各章には旅に出るための実用コラムも掲載しました。
 本書のあとがきにも記しましたが、活字離れが進んで、若者が海外へ出かけなくなりました。でもそんな時代だからこそ、この本を出す意味がある。旅で人生を学んで人間的に成長したと思い込んでいる僕は、旅の力を継承する義務があると思ってます。
 手にとった方が「買ってよかった」と思える本を、そして自分もいつかこのトレイルを歩いと奮い立つことを夢見てつくった本です。この本にはそうさせる力があ
と、信じてます。
 これまで20冊以上の紀行エッセイを発表してきましたが、これまでのベスト、最高傑作だと断言します。
 ちなみに表紙カバーをとると、デビュー作『213万歩の旅』を彷彿させるデザインになってます。『213万歩の旅』出版からちょうど20年。自分の原点に還ろうという思いも込めました。
 ぜひ、買ってください。期待をけっして裏切らない一冊です。

 よろしくお願いします。
 

2012年2月22日 

徳島市の隣、佐那河内村に来ている。
村長から村出身の写真家、荒井賢治さんの話を聞いた

荒井さんはかつて村出身であることにコンプレックスを持っていた。徳島市に移住し、30年ほど前からインドの写真を撮りはじめ(インド来訪回数は50回以上)、多くの賞を受賞した。
そして5年前から消え行く運命にある限界集落に目を向け、そこに暮らすじいさん、ばあさんたちの朗らかな笑顔を撮り出した。徳島の空港にはじいさん、ばあさんが笑顔で出迎えてくれる大きなパネルが飾られているが、それは荒井さんの作品だ。
昨年1月に村長と意気投合して、佐那河内村の写真集に着手した。各地区ごとの住民の集合写真など、村民全員の笑顔を収める写真集である。
しかし荒井さんはガンにかかっていた。手術を無事に終えたものの、写真集作成を決めた数日後にがんの再発がみつかった。
荒井さんは命をかけて、村民たちを撮影した。日に日にやせ細っていくものの、最後までカメラを放さず、シャッターを押した。
そして11月22日死去、享年63歳だった。
村民たちの姿はすべて写真に収めることができた。しかし撮れなかった写真が2枚あった。村に沈む夕日の写真と、長願寺の色づいた銀杏の写真。
その2枚は奥さんが受け継いで写真に収めて、写真集は完成した。
今月末、村民ひとりひとりに、荒井さんの遺作となった村の写真集が手渡される。
この写真集は一般の方は購入できない。村民のために作った写真集なのである。多くの作品を残してきた写真家の最後の作品は、かつてコンプレックスを抱いていた村を撮影したものだった。
その後、僕は荒井さんの奥さんに会って話を伺ったが、この話をどうまとめようか、いま徳島で考えているところだ。それは充実した悩みといっていい。そしてこれから僕は次の村、高知県へと向か
う。

シェルパ斉藤

2012.1.18.PM9:45
雑木林の樹木を倒した。

薪として極上のクヌギの木だ。
成長した枝がわが家の庭に垂れ下がってきて、南歩とキャッチボールするときに邪魔だったものだからチェーンソーで伐採した。
倒したクヌギは40cm程度に玉切り、すぐに斧で割った。
乾燥させたほうが割りやすいように思えるが、逆だ。伐採したての湿った状態のほうが薪割りはしやすい。
力を入れて振り下ろさなくてもいい。切り口の中心に向かって斧を落としてやるだけでスパッと割れる。
昨日まで薪割りのしにくさでトップクラスにランクされるケヤキを割っていたので、伐採したてのクヌギはウソのように簡単だった。
割ったばかりの薪を積みながら、とても豊かな気持ちになれた。
自分の敷地で育った樹木を伐採して薪にする。そしてじっくり乾燥させて数年後に燃料として暖をとる。
はるか遠い国から膨大なエネルギーを使って大型船で運ばれてくる液体燃料に頼らなくても、自分の敷地内で暖房の燃料がまかなえてしまう。そう思うと幸せな気持ちになれるのだ。
しかも液体燃料の暖房よりも薪ストーブは格段に暖かいわけだし。

薪割りが終わったあとは、4年前に割ってじっくり乾燥させた薪でストーブに火をつけた。ポノが薪ストーブのまん前の特等席で寝転んでいる。
冬も悪くないな、とつくづく思う。



2011.11.12.AM11:00 


南向きのウッドデッキを改修した。

2002年夏に増築した見晴らしのいいウッドデッキである。屋根がないオープンデッキのため、デッキ材の一部が朽ちて、やばい状態になっていた。
使えるデッキ材はそのままに、使えない部分をはがして、防腐処理を施した2×6材を張る。
ここは犬たちの生活スペースだったから、デッキの隙間には亡きニホやサンポの毛が埋まっていた。
他人にとっては埃と同じゴミなんだろうけど、僕にとってはこのゴミが愛おしく感じられる。
このデッキを作ってまだわずか9年だけど、それでもわが家の歴史がここにも積み重なっていたのだ。
デッキ材とデッキ材に詰まった犬の毛や埃をすべて取り除き、長持ちしそうにない根太も補強して、家族みんなが大好きなウッドデッキはみちがえるように美しくなった。
まだ、まだ、大丈夫。
自分たちで築きあげた家だから、自分たちの手で守らねば。
新たに何かを作り上げるのが楽しいのは当然だけど、朽ちつつあるものを蘇らせることにも達成感を感じる。
蘇ったウッドデッキでトッポと過ごし、「新しい家族を迎えような」とトッポに語る小春日和の一日。


2011.11.4.AM11:00
信越トレイルを旅してきた。
斑尾山から天水山までの全行程80kmのスルーハイク。
これまで信越トレイルは宿泊が基本だったが、来シーズンからテント泊が認められる。解禁前の事務局公認第1号として全泊テントの信越トレイルバックパッキングを楽しんできた。
よくできたトレイル、というのが正直な感想。
コースの整備状況も良好だし、何よりブナの森がすばらしい。
テント泊が可能になったことで、現時点で日本一のロングトレイルといっていいだろう。

2011.10.20.AM11:00
サンポが旅立っていった。
筋違いかもしれないけど、小春日和の穏やかな気候が続いたこの4日間、僕は充実した幸せな日々を過ごすことができた。いつでもそばにサンポがいて、濃密な時間を楽しめた。
サンポ、ありがとう、大好きだよ!
昨夜、サンポの容態がおかしくなってから、サンポの頭を撫でながら何度も何度も耳元でささやいた。
ニホもそうだったけど、僕が家にいる間に旅立って、見送ることができたサンポに心から感謝したい。
明日から僕は心おきなく旅に出られる。
骨にしてしまう今日は涙がこぼれるかもしれないけど、明日からはもう泣かない。


 
2011.10.18
わが家族、サンポが旅立とうとしている。食べ物を受けつけなくなり、横たわったままの日々が続いている。いつ旅立ってしまってもおかしくない状態だ。

昼間はデッキにテーブルを出してサンポの横で原稿を書き、日が暮れるとリビングにサンポを入れ、サンポの横に布団を敷いて寝起きしている。時間が許すかぎり、サンポのそばにいたい。病院に連れていけば数日余計に生き延びるかもしれないが、サンポに残された貴重時間を病院で費やしたくはない。サンポが大好きな場所、大好きな家族に囲まれて安らかに旅立たせてやりたい。

介護の日々、と表現すべきだろうけど、少しも苦ではない。「サンポ、ありがとう。幸せな日々を本当にありがとう!」と感謝の気持ちでサンポに接している。

今は悲しみよりも、サンポへの愛おしさで胸がいっぱいだ。

2011.10.2 
九州でヒッチハイク、北海道の道北をハンターカブでツーリング、南アルプスをバックパッキングで縦走、自転車で北海道の道東をツーリング、とかちロングトレイルをトレッキング、そしてピークス読者と八ヶ岳縦走、山小屋滞在、犬連れバックパッキング……。あちこち飛び回って、ハードだけど充実した日々が続いている。これまで隔月刊だったバイシクルナビが月刊になって、自転車の旅も毎月出かけることになる。ガンガン旅に出て、ガシガシ原稿を書くぞ! と自分を鼓舞している毎日です。

2011.7.30 
福島、宮城の旅を終えて帰宅した翌日、福島の河原さんから郵便物が届いた。
そこには手紙と福島の
地元紙が入っていた。
手紙にはこう綴られていた。

「ちょうどみなさんが泊まった日の朝、新聞の一面に斉藤さんのことが書かれてありました。主人は気づかなかったことがくやしくてしょうがないと言っていました.私は斉藤さんの記事に福島県民が、勇気と元気をもらったと思い、とても感動しました。ぜひ、またすてきな福島の山々を旅してください。ありがとうございました!! 福島県民より♡」

新聞一面下欄に綴られていた『あぶくま抄』をそのまま流用させていただく。
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27日の福島民報である。
「夏の登山シーズンが県内でも本番を迎えている。ただし登山者は例年に比べて少ないという。原発事故が影を落としているに違いない。高山の大半は放射線量が高くないはずだが…▼アウトドア作家斉藤政喜さんが「吾妻連峰縦走」山行を雑誌「フィールドライフ」夏号に紹介している。各地で野宿旅をしてきた斉藤さんは震災後、被災地でのボランティア活動を続けている。観光客らの激減に苦しむ本県への手助けの一つとして、被災地往復の途中を利用し、初めて訪れた▼福島市の浄土平を起点に家形山╴烏帽子山を経て、無人の山小屋で一夜を過ごす.翌日は小屋╴人形石╴山形県米沢市の白布温泉までを一人で歩いた.昨年本紙で連載した「美景 山と湖・奥深き吾妻」でたどったコースと重なる。噴気上がる一切経山、「魔女の瞳」を称される五色沼、オオシラビソやコメツガの森、野草咲く湿原など、魅力いっぱいだ▼浄土平を通る磐梯吾妻スカイラインをはじめ、県内の観光有料道路三路線は十六日から通行無料になった。登山費用も安く済む。斉藤さんは吾妻の旅を振り返る。<やっぱりここはすてきな山じゃないか。みんなこの山に来ればいい>」

自分が伝えたい思い、そのバトンが見ず知らずの人の手に渡っていたことを誇りに思う。きっとこのバトンはまた誰かに渡されていくだろう。福島民報の記者に心から感謝したい。
それにしても、自分が福島にいた日の朝の新聞に自分のことが掲載されていたとは、偶然とはいえ、運命的な巡り合わせとつながりを感じる。今後は福島と関わっていけ、とい
う天の声かもしれない。

2011.7.10

『ニッポン村々紀行』で東北に出かけるついでに、女川町に寄って地平線会議のメンバーたちと合流してボランティア活動を行なった。
地元の住職が「全壊した集落の家屋が取り壊される前に、瓦を未来への遺産、メモリアルとして保存したい。回収作業を手伝ってほしい」と要望し、地平線会議が応じたプロジェクトだ。
さすがに地球規模で行動する人々の集団だけあって、地平線会議のメンバーはタフだった。夜中に東京を出発して、徹夜で移動してきたのにすぐに作業に入り、わずかな昼寝のあと、再び作業に入り、頼まれなかった仕事も自主的に行なって、夜はしっかり酒を飲む。還暦をすぎてもなお現役の旅人たちは、やっぱり強いなと、あらためて思った。

僕は今回の活動がふたつの意味で好感が持てた。
ひとつは、現地から要望があったこと。これまで僕らが行なってきた活動は現地でニーズを探したり、こういうことが必要ではないかと自主的に考えて行動することが多かった。その活動も大切ではあるけれど、ひとりよがりではないか、と感じるときがあった。しかし、現地から頼まれると「被災者のためにがんばるぞ!」と、より一層モチベーションがあがる。
もうひとつは、瓦の回収が屋根にあがったり、大工仕事の技術が求められたこと。個人的な意見だけど、家づくりをして田舎暮らしをしている自分のスキルや体力をフルに使って、作業に没頭できた。作業着はボロボロになったし、おおいなる充実感が得られたボランティア活動だった。
今後もこのような依頼があったら積極的に参加していきたい。

なお、国井律子さんのトークライブなどで集めた支援金は、石巻のトールと釜石の山田周生さんに直接手渡した。それ以外に今回の瓦回収活動をサポートする活動費(地平線会meンバーの米飯確保など)に使わせていただいた。

 
2011.6.29
やっぱ、だめだな。情けないけど、自分の怠慢さを認めざるをえない。

つぶやきという名目でハードルを下げているにもかかわらず、5月下旬のナチュラルハイ以降、まったく変更していない。書きたくなるような出来事はたくさんあって、書きたい欲望もあるんだけど、いざとなると気が向かない。
このまま時が過ぎるのはもっとはずかしいので、最近の行動だけでも記しておこう。

6月初旬、青森県の村を旅する。そのまま南下して石巻のトールに会って支援金を渡し、さらに南下して福島県の山へ。吾妻連峰をバックパッキングして帰宅。

数日後、石垣島へ。八幡さんに会ったあと、偶然にも長旅を終えた関野吉晴さんとも再会。その後、小浜島、黒島と自転車で渡り歩いて帰宅。翌日は国井律子さんをゲストに招いて震災チャリティートークショー。

翌週八ヶ岳の山小屋をはしご。山小屋で悲しいできごとに遭遇。つい2ヶ月前に世話になった大河原ヒュッテの田中光彦さんが僕の到着する前に急死。翌日は苔の観察会に参加。そして今週末、石巻、女川、釜石と移動して、途中でトールと山田周生さんにトークショーで集まった支援金を渡して、岩手県の滝沢村へ行く予定。

以上。

こんなことでいいのだろうか。時間があって気が向いたらまた書くことにしよう。

2011.6.29 
シェルパ斉藤

2011.5.25
道志村の野外イベント、Natural high!に今年も参加した。
ネイチャー系アーチストやミュージシャンが多数出演する2日間の
アウトドアイベントだが、初回からずっと出演している皆勤賞は僕ひとりになった。それを誇りに、自分に求めれることは精一杯やろうと、僕は例年以上に張り切ってNatural high!に臨んだ。
カフェ『チームシェルパ』の出店、オートバイ
メーカーブースでのワンバーナークッキング、メレルのトレッキングツアー、そしてトークショーなど、依頼されたプログラムを積極的にこなし、さらに独自のチャリティーオークションも行なった。
オークションにかけたのは、モンベルのバックパック、トレッキングパック55である。

かつて僕はモンベルのアウトワード誌の仕事で蔵王をトレッキングして紀行文を書いたことがあり、そのとき提供されたのがこのバックパックだった。容量55リットルで使いやすいモデルだったが、僕はいつもグレゴリーを使っているものだから、1度使ったきりでお蔵入り状態になっていた。
ほとんど新品状態のそのバックパックをトークショーのあとにオークションにかけたのだが、プレミア商品にするため僕はそれなりに努力した。Natural highに出演した仲間たちにお願いしてバックパックの蓋の裏側にサインをしてもらったのである。
サインしてもらった順番に紹介すると、長野修平、長野あかり、賀曽利隆、遠藤ケイ、ホーボージュン、白石康次郎、辻信一、森雅浩、野川かさね、高橋紡、ポンジ、鈴木南兵衛、滝沢守生、朝比奈耕太、田中優、そして加藤登紀子という豪華なラインナップ。
ヤフオクに出せばかなりいい値がつくんじゃないかと思ったが、その場のノリでオークションを開催した。
千円からスタートしたオークションは、最終的に2万円で落札となった。そのお金以外にもあちこちでカンパしてもらい、イベント終了までに5万円近いお金が集まった。
全額を被災地で活動を続ける友人に渡すつもりでいるが、今後もこのようなオークションを続けたいと思っている。
そうそう、ヤフオクの東日本大震災チャリティーオークションの青空ユニオンにも、僕はグレゴリーのアウターフレームパック、レボリューションを出品している。
そちらもよろしく。
  

2011.5.8
  
松島を自転車で旅したあと、近隣の石巻に行ってボランティア活動してきた。
石巻では友人たちが活動しているんだけど、一般ボランティアとして活動できるのか、身をもって証明しようと思い、普通にボランティアセンターの受付に並んで登録をした。
すると「ひとりですか。一緒に活動しませんか」と男に声をかけられた。
全身タトゥーの肥満体型。歌舞伎町あたりで声をかけられたら逃げたくなる怪しい男だった。彼は震災から1週間後に石巻に入ってずっと活動しているという。
誘いに乗ってついていったら、マイクロバスが停まっていて、男たちが20人近く乗っていた。20代らしき若者もいれば、定年退職を迎えたと思える年配の人もいる。それぞれが独自にやってきたインデペンデントな集団だった。
石巻の港町近くに向かい、民家に流れついた漂流物を拾い集めたり、ヘドロをかき出して汗を流した。
そして昼食どき。タトゥーをしたリーダーと、ロン毛の若いサブリーダーに質問された。「あなたは普通の社会人には見えないですね。何をしている人ですか?」と。
あなたもね、と言いたいところをこらえて、正直に答えた。
「旅をして雑誌や本に文章を書いてます」と。
「へえ〜……。どんな雑誌ですか? 名前を教えてください」と訊かれたのでまた正直に答えた。
「シェルパ斉藤というペンネームで書いてます」と。
その直後、リーダーと若いサブリーダーが「ヒエーッ!」と奇声を発した。
「シェルパ斉藤さんですか! 僕はあなたの本をたくさん持ってますよ!」
タトゥーのリーダーは驚愕の表情になったけど、こっちだって驚きだ.リーダーは雰囲気からして僕の読者とは思えない風貌だったから。
リーダーは羨望のまなざしで僕を見たが、若いサブリーダーの言葉に笑ってしまった。
「オーラ、全然ないっすねえ! 普通の人じゃないですか!」
さっき、普通の社会人に見えないっていったじゃん! 
でもそうだよ。僕は有名人じゃない。普通の旅人なんだよ。
まあともかく、それからというものリーダーもサブリーダーも僕に対する接し方がガラリと変わった。
普通の旅人として無計画で被災地に行っても、ボランティア活動に参加できることを証明できた石巻の1日だった。
2011.5.8  シェルパ斉藤

2011.4.24
妻たちが集めた絵本や駄菓子をユーロバンにたっぷり積んで被災地へ出かけた。経過を報告したら連載1本以上の原稿になってしまうから省くけど、結果的に気仙沼と陸前高田の子どもたちにすべて手渡すことができた。
しかし、その達成感以上に自分の無力さを感じた。それほどまでに被災地の惨状はひどかったし、気が遠くなるくらい被災地の範囲は広かった。
それでも行ってよかったと思う。
自分の小ささを思い知らされたことで、ならば自分は何をすべきか、方向性が見えてきた。来週の月曜日からまた東北へ出かけるつもりだ。それはバイナビの連載『自転車で出会う楽園の島』の取材で、松島を旅して来ようと思う。津波の被害の少なかった松島は、復興に向けて遊覧船も再開したし、水族館も開館した。
旅できる場所を旅人が訪れることも、復興への手助けのひとつになると信じている。

シェルパ斉藤

2011.4.1

自分は何をすべきか、震災から3週間が経ってようやく見えてきた。
とりあえず出かけます。
自分たちに何ができるのか見きわめるために出かけます。
今までは、僕が行ったところで……と尻込みしていたけれど、周囲の人々が僕に期待していることを知った。
被災者へのカンパや「これを持って行って」と僕に手渡す人々が次々に来た。
みんなに背中を押された。
被災者のなかには僕の読者だっているかもしれない。
みんなの思いを誇りに、胸を張って出かけます。
ただし、すぐではありません。今の仕事切り上げてからです。
与えられた仕事をきちんとこなしてから行動するのが、僕の流儀ですから。


2011.3.25

うれしいことがあった。

行方がわからなかった釜石の友人が、生きていた! 健在だった!朝の情報番組『ズームイン・スーパー』を観ていたら偶然にも奥さんと子ども、それに彼の姿が映ったのだ。どんな内容を伝えていたのかわからない。彼らの姿を発見した瞬間、妻と画面に駆け寄り、彼の家族の姿に釘付けになった。彼の家は釜石市内の中心部にある。彼は目が不自由だから心配していた。
でもちゃんと避難していたんだ。これから大変だろうけど、無事で本当によかった。来月、会いに行こうかな僕に何ができるかわからないから、会いに行って考えようか
そうか。あのニュースは誕生日プレゼントだったんだ。

そう思うことにした、今日は50歳の誕生日。
 シェルパ斉藤

2011.3.14
オーストラリアの旅の裏話をこの欄で書こうと思っていた。
しかし今はそんな気分になれない。
僕は読者を旅やアウトドアにかき立てる文章を書くことが仕事であり、使命だと思っているが、この状況下で原稿を書いていると「こんなことを書いている場合なのか?」という思いに駆られてしまう。
大震災に遭われた地域のほとんどを僕は旅している。報道されていない小さな集落も壊滅的被害を受けたことだろう。何万もの悲劇を思い浮かべると涙がこぼれてくる。
でも、がんばろう。
中越地震で被災地に出かけたとき、今の自分にできることを精一杯やることがボランティアの役割なんだと、学ん
だ。
今は執筆に集中して、魂を込めて原稿を書こう。
実際に行動する
ためにも、連載の原稿をさっさと仕上げよう。それが今の自分にできることなんだ。    シェルパ斉藤

2011.3.6

ーストラリアのグレートオーシャンウォークを旅してきた。オーストラリアは大陸のイメージが強いし、2006年にできたばかりのトレイルだからあまり期待していなかったんだけど、想像以上にいい旅だった。それに26年ぶりにメルボルンの恩人と再会できて、内容の濃い旅になった。詳しくはビーパルにじっくり書くつもりなので、そちらを読んでもらいたい。
成田に着いてからは帰宅せずに、田舎暮らしを始めたチェコ人のパヴェル&栄子さんの家に1泊してそのまま房総半島をバックパッキングした。温かい房総とはいえ、夏のオーストラリアから来たばかりの身に早春のキャンプ泊は寒かったし、スギ花粉の舞うトレイルはつらかった。でも春らしい写真が撮れたし、海岸で流木の焚き火がよかったから、2011年最初の『ニッポンの山をバックパッキング』は成功だと思いたい。
時間と余裕があったら、この欄に「こぼれ話」を書いていくつもりです。よろしく
2011.3.6  
シェルパ斉藤

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