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西岳麓の不動清水と盃流し

この不動清水の周りには七基の石神仏があるが、松の根元で平らな石が屋根代わりになっている不動明王は下半分が土に埋まっている。屋根の庇が飛び出しているため光が当たりにくく火炎の紅が物凄い。この不動明王と地蔵像には注連縄が飾られているので、今も地元で信仰している方がいるようだ。ここは古くは烏帽子の地籍だったようだが、その後乙事の鼻鳥屋と地籍の交換があったようで、この位置から川は続いてはなくあえて言うなら「フウキ沢」の上流になる。この水場は枯れることがない。富士見町の小林増巳さんたちが付けた「長命水 中近世修験場遺跡(御手洗場)1983年」看板がある。

水場の上の石碑に「水天明王 濱清左ヱ門」と刻まれていて、落合(現富士見町)字烏帽子の江戸時代の村役人に名前が載っていて、いまも子孫の方が住んでいて、
濱 松蔵〜清左衛門〜祐治郎〜亀良〜忠良(現当主)とつづいている。

清左衛門は松蔵の次男で天保元年(1832)3月10日生まれで、明治43年(1910)10月10日没(78才) で明治の初期建立ではないかと思われる。現当主忠良さんは婿養子で詳しいことは分からないが、若い時に一度見に行ったことがあると言う。刻まれている「濱清左ヱ門」の文字はプロの石工の様ではなく、素人ぽく村役人時代、例えば入会いまたは、水利権のことで置かれたのかもしれない。

また、高さ1.27mの「大山大霊大明神」と「安曇大神」の碑があるが、安曇大神は側面に昭和二十七年九月と刻まれていて新しい。安曇大神はどんな神様なのだろうか。アズミは、ワダツミのナマリとのことで九州の福岡県志賀島の志賀海神社の祭神「綿津見神」(わだつみのかみ)で安曇一族の祖先神で、志賀島は「漢委奴国王」と刻まれた金印が出土したところです。綿津見神は海の神で元々本拠地は九州なのが長野県の安曇野に移住してきてこの名前を付けたようで、安曇野の治水などに係わったのではないかと考えられます。「安曇大神」の碑の左側面には「高橋組」と刻まれこの林道建設に従事した人達の信仰ではないかと思う。

近くに「盃流し」と言われる一枚岩があり、大正14年ここを訪れた犬養木堂と小川h射山は「曲水」「神仙秘境」と書き残し、傍の自然石に刻まれている。沢を渡って編笠山登山道に続くが沢を20mほど上流に行くと、左岸(沢の上流に向かって右側)に「乙事山岳会・木堂犬養□・遊題此為稜念・射山小川同・八月三十日興・大正十四年」の碑文が自然の一枚岩に刻んであって、「盃流し」は知っていてもこの乙事山岳会の碑のことは地元の人もあまり知らないのではないかと思う。
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