Photo essay

自分

ベトナム縦断旅行

街の風景皆がいささか人生を半ば過ぎた夫婦三組六名でのベトナム縦断旅行所感である。 何時何処から出発し何時帰国したという時系列な書き方と多少趣を変え、琴線に触れた事柄を無作為に取り上げ書き進めてみたい。

旅行の日程だけは書かなければ何時の印象であったかがわからないため記しておきたい。 平成十四年仲秋の頃、ハノイを皮切りにホーチミンまでの九日間のベトナム縦断旅である。

旅行会社企画のツアー参加のため、当然20〜30人の中に組み込まれて右往左往な旅であろうと覚悟していたのであるが、豈図らんや我々三組だけであった。 この旅が好印象であった原因の一因であると思っている。

現地係員の日本語力

縦断中、二人の係員がベトナム北部と南部に分かれ、我々六人のためにハノイから中部都市ダナンまでの飛行機上の同行を除き、引き継いで専属同行してくれた。 実にこの二人の日本語能力は我々日本人に立派に通じるものであった。

海外に行くと「良い娘いるよ。安いよ。」などと日本語を操るぽん引きまがいの者や、イスタンブールに行ったときにトプカピ宮殿で出くわした若者のかけてきた言葉に無視をしていると「つれないね!」とこちらが苦笑するほどの日本語を操る輩はいるが、この二人は多少語尾に違和感があるが立派なものであった。却って今時の女子中高生が使う不可思議な日本語のほうが私には理解不能である。

海外に行き、日本語を聞くと「日本語うまいね。何処で習ったの?どの位の期間?」などと決まり切った質問をご多分に漏れず私もこの二人にしたのであるが、せいぜい二年足らずの現地日本語学校の習得期間という答えである。 二人とも日本に渡航したことがなく、一度は行ってみたいと言っていた。 「渡航費用などの経費を考えると相当期間無理です。」とため息混じりに言葉を吐いた。 職業柄日本のことを勉強しなければならないらしく、インターネットや日本語の本などで知識を貪欲に仕入れている。 日本に渡航したこともない者が何十年も日本人でいる者に「へー、そうなの」と言わせるほど日本の実情をよく知っていることに複雑な心境を禁じ得ない。 また、こちらが一瞬考え、合点する冗談も言い、我々が言う冗談にも間髪入れぬ反応を示すなど相当の基礎力を感じる。

それに比べ我々日本人の外国語会話の能力たるや恥ずかしい限りである。 中学から英語の勉強を始め高校までに六年間、さらに大学までを含めると合計十年間になる。 こんなに長い期間勉強していても、「Hello! nice meet you. my name is Taro Nipponn.」などと言ったまでで言葉が途切れ、先が続かない。長い年月、英語教育に浸っていながらろくな会話も出来ない大多数の日本人とはなんであろう。 教育制度が悪い、日本語と外国語では文の並べ方が違うなどともっともらしい理由が言われ続けられているが、上達しない原因は他に起因しているような気がしてならない。 結局はハングリー精神の有る無しか。 どう思いますか?

私も自宅には英会話の本が何冊とあり、英会話本のベストセラーに貢献している。こう言う私も買い求めただけで上達したような気分になる大多数の中の一人であることが悔しい。

コーラ缶を買わない心理状態

ミーソン遺跡ホイアンから約30km程離れたところに位置するチャンパ王国のミーソン遺跡見物の時のことである。 遺跡の手前の管理小屋で我々の乗ってきた車を降り、管理人のジープに乗り換えて遺跡に向かうのであるが、我々が車を降りるや否や乳飲み子を抱えた可愛い7〜8才の子が冷たそうなコーラの缶を片手に握り締めて売りに来る。 何ドンであったか忘れたが、日本で同じ物を買うよりは安かったと思う。

気温30度を超える暑さの中、持参したミネラルウオーターは生ぬるく、すぐにも冷たいものに飛びつきたいのであるが、その時私は何故かコーラ缶を買うことを躊躇した。
毎朝ホテルのまくら元に置くチップとそう変わらない価格に勿体なさを感じたわけでもなく、不清潔感を嗅ぎ取ったわけでもなかった。 では何故私は躊躇したのだろう。
それからこの旅行の間も帰国してからも何故だったのだろうと考えた。少女は、目がクリクリとしていて実に可愛く、乳飲み子も当然ながら可愛い。訴える目で私の目から視線を離さずコーラ缶を差し伸べる。居たたまれない気になり、私のほうが目を逸らすほどであった。それでも私は買わなかった。喉が渇いていたにもかかわらず。

帰国し、しばらくして私は「ではなかったのかな!」と言う漠然としたものに行き当たった。
それはこの少女の後ろに、少女に媚びる目をさせ物を売らせる親の影を見たのかもしれなかったのだと。

市場の親子

ホイアン親子左記の写真はホイアンの市場での写真である。市場はトッボン川の支流だと思われる所で、ホイアン街と隣接している。おそらく親子であろうと思うが、一休みしているところを撮らせていただいた。母親と思われる老婆が娘の腕にそっと手を添えているのが目に留まりカメラをむけた。おそらくこの老婆は少なくとも60才代か70才代であろうが、私はその人の顔に刻まれた皺に、辛苦を乗り越えてきた女性の強さを感じた。当然ながらインドシナ戦争もベトナム戦争も乗り越えて生きてきた人である。「この先何があっても動じはしないよ」と言っているかのようであった。精神的強さはこんな歴史を経なければ身に付かないものなのだろうか。考えさせられた一場面であった。


Suiou's Spaceホームページ