西欧の農業事情研修日記       三浦光宏 (昭和58(1983)年9月)  平成21(2009)年4月抜粋、再編集)   リストマーク 戻る
       

 戸棚を整理していると懐かしい冊子が見つかりました。昭和58年8月27日から9月9日の14日間、第7回山梨県農協海外農業視察団として中央会・連合会・農業協同組合職員24名の団員事務局として参加した時のものです。 ヨーロッパ農業と比較して日本農業を新たな視線で考える上で貴重な研修でした。そこで原点に立ち返り我が家の農業を考える上でも貴重な資料ですので、再編集し掲載することにしました。ご一読いただければ幸いです。平成21年4月


 8月27日(土)第1日目


 団員24名は午前11時30分、県農協会館に集合、見送りには各連代表者、団員の家族等多くの人たちが集まった。ロビーで出発式、県農協中央会、中村嘉一会長より壮途に際しての激励の言葉をいただいた。12時30分、農協会館を後に成田空港に向かう。途中で夕食。成田空港19時15分着。見送りの人たちに別れを告げ、出国手続きを完了し、成田21時発JAL425便(日本航空)北ウイングに搭乗、アンカレッジに向かう。
 
 アンカレッジでは給油の間免税店で酒、たばこ等の買い物をする。(ここでの買い物は帰途の際立ち寄るときチケットと交換する。)
アンカレッジを8月27日10時20分発(日本との時差が20時間で日本は28日4時)でパリへ向かう。途中機内から見る氷に覆われたアラスカの白夜は美しく、また壮絶で、思わず感嘆の声を上げ、シャッターを押す。

8月28日(日)(第2日目) 

 パリ、シャルル・ドゴール空港、8月27日7時15分着.早朝ゆえ人もまばらで、免税店も半ば閉まっていた。ここで、航空便にて関係者にお礼の絵葉書を投函する。パリ発9時20分、GA896便(ガルーダ、インドネシア航空)でアムステルダムへ向かう。GA航空は日本航空とは違い、機内も乱雑で、クッション、ジャケット(毛布)が散乱しており、お国柄を感ずる。

 アムステルダム着10時25分(日本との時差7時間)。空港から国際電話をして、団員の無事を中央会から勤務先を通じて、それぞれの家庭に連絡する。空港から木靴製作所、王立博物館、風車の見学をする。途中リンゴのワイ化栽培を見た。オランダは雨量が多く60%の土地で排水が必要だという。
 
堤防の水面下2〜4mを道路が走っている。オランダは地震も台風もないと聞いて、ほっ、と胸をなでおろす。ホテルオークラ着PM6時、夕食をとる。丸2日間横になって寝ていないので、とにかく眠くてどうにもならない。北極圏に近いので夜8時になっても外が明るい。






8月29日(月)第3日目

 ホテル発9時。アールスミア中央市場(略称V.B.A)見学。花の種類と美しさ、それに大規模の市場にびっくり。また、マイク,機械等近代的設備利用のせり下げ方式に目を見張る。

 道行く人々に声をかけ、一緒に記念写真、みんな旅なれてきた。その後、協同組合経営の旧圃場でキャベツ、パセリの栽培を視察のあと、野菜農家を訪問。「見渡す限りの土地が私の農場です。」の言葉に、う〜んとうなる。日本の感覚と大分異なる。とにかく広くでっかい。郊外の道路の整備状況も抜群で、車道、サイクリング道路、馬道が3本平行して走る。土地の国有率80%以上の国のなせる技か。

 車窓から見る景色は、どこをカメラに納めても絵はがきになるくらいに美しく、この美しいオランダの風景に心を動かされた。しかし、国土の狭い我が国にとっては、なんとも高嶺の花、オランダに恋をし、同時に入手できないさみしさをも味あう。

8月30日(火)第5日目

 ホテル発9時30分、アムス空港11時発BA407便(英国航空)で一路イギリスへ。ロンドン着11時。(アムスとの時差1時間)
ここで第1のトラブル発生。ベルトを十文字に掛けていた3名のトランクが開かれており、鍵付きのベルトはナイフでザックリ、ベルトは跡形もない。幸い現金目当てらしく被害はなかった。添乗の鳥居さんより現金は必ず身につけておくるように再度警告を受ける。

 ロンドン市内の観光では、タワーブリッジ、センターポール寺院等を見学した。歴史の深さ、伝統のすばらしさを満喫する。市内のいたるところで、建物の煤落とし(水洗い)が行われていた。イギリスは海流の関係で煤煙が多く、白い大理石で造った建物は真っ黒。政府が補助金を出して化粧直しを行っていた。センターアーミンズホテル泊。



8月31日(水)第5日目

 ホテル発9時30分、英国農民連盟(The National Farmers’Union)を訪問し、広報官 Mr,ゴーマンさん、Mrs,ベティーさんの説明で、イギリス農業、連盟の組織構成、役割を熱心に研修した。

 イギリス農家の貧富の差は激しく、「平均収入、平均耕作面積は?」の質問にゴーマンさんは目を白黒、上は貴族で年間何百人と人を雇い、下は食うに貧しい小規模農家とか、その説明に全員納得する。研修の後はバッキンガム宮殿で衛兵の交代儀式を見学、午後、セントポール大聖堂、国会議事堂、ハイド.パーク、ウエストミン寺院を見学、三越ロンドン店でショッイピングを楽しみ、夜はロンドン地下鉄、2階バスに乗り市内観光をした。





9月1日(木)第5日目

 ホテル発6時、8時15分発BA502便(英国航空)でローマへ、ローマ着11時40分
ローマ、チューリッヒ空港で気が付いたのだが、団員24名中15名のトランクが開かれ、中がグチャグチャになっていた。ロンドン空港で飛行機に積みこむ前の出来事だと判明。被害はなかったものの、イギリスは紳士の国と聞いていただけに二度にわたるこの出来事と、ロンドンホテル内でのボーイによるネクタイ抜き取りの事件といい、イギリスの印象を悪いものとした。 午後、ローマ市内観光および革製品のショッピングをした。メトロホールホテル泊。

9月2日(金)第6日目


 ホテル発8時30分、郊外へバスを走らせ、協同組合の経営するワイン工場(CANTINA.SOCIALE.COOPRATIVA)を見学。ここでは、ガソリンスタンドの給油と同じ形式の機械でワインの計り売りをしているのに驚いた。さすがにワインの国だ。
 
また、農産物の直売所でスイカ、リンゴ、ブドウを試食する。見てくれ(形状)、味も、もう一歩であった。ワイン用ブドウ畑の見学もしたが、石灰岩の土壌は極めて悪く、ブドウの生育も遅く、石に種まくイタリア農業の粗雑さ(日本に比し)を感じた。イタリアではオリーブ栽培が盛んであるが、木を植えるのは自由だが、伐採には政府の許可がいるという。

 夜は、後ろ向きでコインを1つシュートすると望みがかなえられ、2つシュートすると再び訪れることが出来、3つシュートすると離婚が成立するというトレビの泉を観光。光に浮かんだ泉はとても美しかったが、何個のコインをシュートしたかはその人のみぞ知る。



9月3日(土)第8日目
 ホテルでの食事の際、日本へ国際電話で連絡を取った団員から、大韓航空撃墜事件を告げられ大騒ぎ、家族はさぞかし心配しているだろうとあわてて電話機に飛びつく団員もいた。
 ホテル発6時30分、ローマ発8時40分、AZ410便(イタリア航空)でジュネーブへ。ジュネーブ着10時5分、バスでモン・ブラン(Mont-Blanc)へ。車中ガイドさんから「本日は雲が低く天候が心配。」といわれた。事実その通り山の天気は変わりやすく、シャモにの町には小雨が降りだしロープウェイがストップ。富士山より高い標高3,842mの展望台までの登山は中止。一生に1度のこのチャンスが破れ、全員声もなく帰途へ。
 
 途中ジュネーブの市内観光をし、イギリス庭園(Jardin Anglais)にも行った。ショッピングでは民族衣装の高いのには二度ビックリ、聞くところによると手縫いの刺繍がしてあるからだという。刺繍はスイスの特産品でもある。
 夕方、高さは約150m、1.360馬力のポンプで噴出されるというレマン湖の大噴水を見に行った。夕食後ルーレット等、市内カジノ場(注、1回に6スイスフラン以上は賭けられない)を一寸視察する。

9月4日(日)第9日目

 ホテルのモーニングコール5時、朝食5時30分、ホテル発6時。早起きが2日続きで少々うんざりしながらも、フランスの超特急(TGV)でパリへ。税関はほぼフリーパス。記念にと催促しないとスタンプを押してくれない。余りの簡単の税関に、ヨーロッパは陸続きで、もともとフランスの町シャモニはモン・ブランの登はんの基地として栄え、このTGVもスイスまで入り込んでいるのだと思い出す。
 パリでは市内観光、ショッピングを楽しみ、モンヒルトンの丘で食事をし、世界の絵描きの卵の似顔絵等を見学、自動オルガンの調べと歌声をを聞いた後ホテルに戻る。アンバーサダホテル泊
 


9月5日(月)第10日目
 ホテル発AM9時30分、ルーブル美術館見学。名画モナリザ、ミロのビーナス等を見る。世界的名画も棚もなく飾られているが、手を触れる人もいない。日本的に云うと無防備に近いが、これも幼少の頃からの教育だと云う。
 夜、ムーランルージュ見学。ネクタイ、背広着用の紳士の社交場。ここでのナイトショーはとても美しく夢の国で王女にあったように綺麗でなおかつゴージャスであった。

9月6日(火)第11日目

パリ、ホテル発AM.9時、パリ発AM.10時55分、LH113便(ルフトハンザ、ドイツ航空)で西ドイツへ。フランクフルト着PM.12時05分。午後より市内研修でゲーテの生家などを見る。アンバーサダホテル泊。

9月7日(水)第12日目


 ホテル発AM.8時30分、ワイン博物館見学。AM.10時から12時、ワイン博物館、ワイン工場を見学。
研修も半ばを過ぎると日のたつのが早いと聞いていたが、いよいよ最後となり、団員も真剣、12種類ものワインの試飲とブドー畑の視察をした。
 ホテルPM.5時着。最後の夕食ということもあり、市内、日本料理店にて反省会を行う。






9月8日(木)第13日目〜9月9日(金)第14日目
  ホテル発AM.8時30分、フランクフルト発PM.12時35分、SK634便(スカンジナビア航空)でいよいよ帰途へ。コペンハーゲン着PM.2時。ここで2時間40分の待ち合わせ。その間免税店でショッピング。コペンハーゲン発PM.5時20分、JAL406便(日本航空)でアンカレッジ経由成田へ。飛行機での長い旅である。

 コペンハーゲンでは、たまたま待ち合わせ中に、時間が早いこともありJAL406便の機長以下搭乗員の打ち合わせを目の前に見た。「アンカレッジ近くで多少の気流はあるが、天候は良く、今回はアイスランドの上は飛ばず一番近いコースを飛んでゆく。」等々、日本語での打ち合わせを聞き、全員一安心。私達が同国人とあって多少のサーヴィスもあったんだろうが、日本語だけに貴重な情報を入手。日本航空で、日本人の操縦する飛行機だ。大韓航空の撃墜事件のようなこともあるまい。久々のJALとあって団員の緊張も解け目の輝きが穏やかになった。途中アンカレッジで酒、タバコなどのショッピングをして再び機中へ。

 食事が何回もでた。ディナー、昼食、朝食の順である。飛行機は白夜の中を地球の自転とは反対に飛んでいる。何が何だかわからない。心は日本に飛んでいた。
成田着PM.5時20分、最後のフライトが終わり着地の瞬間、団員から思わず拍手と安堵の溜息息がでる。飛行機から降り解団式を行い、入国手続きを完了後、ロビーに向かうと、中央会中村会長をはじめ、信連、経済連、共済連、厚生連、、基金協会、農協観光からので迎えの人々の顔が見えた。出迎えの面々がなんとかなつかしく見えたことか......。

 研修が無事終了したことの報告が長久保団長からなされ、中央会長から出迎えのご挨拶をいただき、バスで甲府に向かう。一刻でも早く自宅へ帰るため、食事は車中で弁当を取る。この銀シャリの味、日本の味に舌鼓を打ち、キリンビール、それに日本酒でのどをうるおしながら、みやげ話に花が咲く。

 PM.10時30分農協会館に到着、家族等ので迎えを受けそれぞれの自宅に帰った。こうして、長くもあり、夢のうちに、14日間の研修日程を全員無事完了した。
この研修に際し、研修を企画してくださった方々、留守の間、職場を、家庭を守っていただいた方々等、多くの関係者の皆様に心より感謝し、研修日記の筆を置きます。種々ありがとうございました。  

 この研修日記は昭和58年9月に第7回農協海外農業視察団が発行した「西欧の農業事情」より抜粋したものです。



ヨーロッパ農業回想録     三浦光宏

 9月27日から14日間の云わば「かけ足研修」であり、西欧農業を知るのには余りに短期間であった。今考えると、農業なり、農協なりに項目を絞り、もう一歩つっこんだ研修をしたかったと思うのではあるが、たとえ短期間であっても「ラスト・チャンス」を私の信条として、自分の五感をフルに発揮して、見、聞き、そして記録するため、ニューモデルではあったが、重たいベータームービー(ソニービデオ)を背負った若さ故のチャレンジ研修でもあった。


 帰国し、ビデオの編集をしながら振り返り見るヨーロッパの農業は、私の目にもなおかつ新鮮で、ただ単に耕地の広大さとスケールの大きさに驚異の声を上げ、作物(花卉を除く)の形状の悪さ、栽培の粗雑さ、米国と同様、土地からの略奪農業に半ばあきれ顔をし、同時に土地集約的日本農業の肌理の細かさ,技術水準の高さを結集した我家の葡萄畑を思い浮かべ、思わず”にんまり”としながらも少しばかり胸を張ったものだ。




 そこでさらに思考を進めるならば、土地を大事にしながらの「土地集約的日本農業も、緑に囲まれた大規模のオランダ農業、地質が悪く荒れた畑、石に種まくイタリア農業、西ドイツの味は良いが”見てくれ”の悪い葡萄づくり、畑の知名度で価格差がつくワイン造り等々、それぞれの農業は、それぞれの国の風土、自然、国民性等、自国の環境に順応した、すなわち合理的農業であったのではなかったのか....。
 あまりにも違う農業実体の説明には”環境順応”このほかには説明の言葉が見つからなかった。




 今、日本は国民のそのほとんどが中流階級と自認し、消費は美徳の精神が今なお後を引き、物質が氾濫し、贅沢を絵に描いたような生活が続いている。一方、緑と花に囲まれた広大な土地を持つオランダ等々ヨーロッパ諸国は、建物も生活も大変質素で地味な生活をしていた。例えば建物も、セーターやコートも、長期間愛用するようすべて習慣づいているのであった。
 
 ブルトーザーで古いものは次々と押しつぶし、高層ビルや三階建ての高速道路が縦横無尽に走る東京、GNP(国民総生産)を世界に誇りながら、国土が狭く、資源の少ない建前主義の国、日本。 ヨーロッパ研修を振り返り見ながら「本当の豊かさとは何か、本当の平和とは、自由とは何か...。」を考えるにつけ、反省すべきことが多々浮かんでくる。


 最後に、私にヨーロッパ研修をプレゼントしていただいた、我が職場である農協組織の大きさを再認識するとともに、関係者諸氏に心よりお礼の言葉を申し上げます。ありがとうございました。



 (この回想録は団員一人一人が執筆したものの中から抜粋しました。)

   第 7 回 海 外 農 協 視 察 団 名 簿(昭和58年9月)

 NO  氏    名  所   属   役       職    NO   氏    名  所     属   役      職 
 1  長久保勝典 経 済 連  参       事   14  志村正太郎  甲  府  北   経  済  部  長 
 2  佐久間甫雄  後 屋 敷   参       事   15  植松 俊夫  八  ヶ  岳   生  産  部  長 
 3  花田   博 信    連  参       事   16  藤森 儀文  韮  崎  市   購  買  部  長 
 4 雨宮   泉 中 央 会  総  務  部 長  17  沢登 安治  信     連   企 画 管 理 部 長 
 5  矢崎  末喜 山梨八幡  参       事   18  山城 征夫  経  済  連   生 産 資 材 課 長 
 6  三枝  正嗣 山梨日川  参       事   19  清水   全  経  済  連  食 糧 販 売 課 長 
 7  堀口  哲雄 西八代郡  総 務 部 長   20  佐藤 貴洋  共  済  連   総務部付考査役 
 8 佐野 武徳 山 梨 栄  参       事   21  藤原 雅弘  共  済  連   普及第2課考査役 
 9 佐野   豊 富 沢 町  参       事   22 今村 建夫  信      連  業  務  課  長 
 10  花形  先雄 山梨昭和  参       事   23  大間  勳   中  央  会   総務部付考査役
11  鮎沢富美六 田 富 町  信 用・共済部長  24  三浦 光宏    中  央  会  団体指導部考査役 
12 秋山 欣造  白   根   飯 丘 出 張 所 長   25 鳥居 秀一  農観東京支所   副  調  査  役 
13 中島   弼  白   根  管 理 室 次 長