観光農業専業への挑戦 平成17年4月〜       三浦 光宏    戻る

1.定年退職

 昨年の3月サラリーマン生活37年間に終止符を打ち、JAグループを定年退職した。文字どおり2足の草鞋生活からの脱皮となった。
 サラリーマンの年間労働日は240〜50日。年間120日前後の休日がある。農繁期には朝4時頃には起床して出勤前の農作業を(朝作り)をすることにより農業経営も可能だ。SS(スピドスプレヤー)での消毒や、トラクターに乗っての除草をした後、風呂に入り食事をして始業3〜40分前には職場に入り、1日のスケジュールや仕事の段取りをして精力的に勤務したものだ。 勤務先がJAグループということもあり、周囲に専門家が多く、農薬等の農業技術や知識を得るのも大変恵まれた環境にあった。また、農業振興部長という役職から県やNHK、東京電力等の関係諸団体が構成する委員会にも生産者組織の代表として出席して幅広い勉強もすることができた。お陰様で、JAグループはもとより県農務部関係の各部署や出先の果樹試験場や農業改良普及センター等数多くの友人を得た。また、全国大会や会議・イベント等により日本全国のJAグループとの交流もあった。外国視察の機会もあり、その資産を背負って専業1年目の挑戦であった。

2.修学旅行

 3月末日に定年退職、4月1日には退職後の健康保険や年金等の手続きをして、4月2日から7日まで女房とハワイに修学旅行をした。その資金の一部は勤続30年記念に夫婦旅行資金として職場から旅行券30万円をいただいたもので、女房に感謝してのハワイ旅行であった。
 マウイ島の高山の中腹で日本人2世が甘柿の観光農園を営んでいた。山裾ではパイナップルやマンゴを栽培しているハワイで甘柿をである!!。これには驚くと同時に日本人の甘柿や干し柿等日本の果物に対する哀愁を感じたものである。ハワイには約20%の日系人が住むという。日本からの旅行者も多い。なにせ、コンビニで日本語が通じるし、なんと納豆、冷や麦、蕎麦まで売っている常夏の楽園である。 
 ハワイから帰った翌日の早朝、桃畑に行くと蕾がふくらみ、天候の良さが気温を上昇させ、みるみるうちに開花が始まった。あわてて女房と桃の早生種の花を摘み取って花粉をとり、花粉の少ない中性種に受粉をする作業をした。旅行から帰るなり農繁期に突入したことになる。

3.農繁期突入

 例年のことであるが、果樹農家は4月に入ると目の色が変わる。いよいよ植物の活動が活発になり、農作業が忙しくなる。6月下旬から7月初旬には路地桃が、8月初旬には巨峰の収穫が始まる。我が家では桃狩り、葡萄狩りの開園となる。 収穫前の作業が何よりも大切で、その年の成果を決める。手間をかけ、黙々と手順に従って農作業を続ける。
 勿論、家族だけで農作業は間に合わない。葡萄の房作りやジベレリン処理(葡萄を種なしにするためのホルモン処理作業)や桃の袋かけなどには、毎年腕の良いおばさん方にお手伝いを依頼する。作業時期を失すると果実の製品価値がなくなるので、桃や葡萄の生育に追われながらの作業となる。時には桃と葡萄の作業が重なる。防除やホルモン処理、それに房作り等は作業時期と天候が特に重要で、葡萄の房作りは6月の梅雨、時にはカッパを着て雨天での作業もいとわないこととなる。

3.HPに対する取り組み

 その農作業の間にもHPの更新は重要で、萌芽、結実、収穫(開園)に至るまでの経過や情報をHPに乗せ、防除日誌等も開示し、安全、安心対策(トレーサビリティー:消費者に生産までの過程を遡及して知らしめるシステム)新鮮、美味をPRする。消費者は自分の家に居ながらにして当園の様子が自分の畑のごとく見ることができ、ねらった品種を間違いなくゲットするために自らの意志で来園する。HPを自力でアップロードして7年目になる。更新はシーズンオフでも欠かさない。1年目に5000アクセスを得て自信を持ち、その後yahooへの登録やドメインを取得して、アクセス数は既に170,000近くになり、今や県内でも有数のサイトになった。当園のお客様はHPのお客様が3分の2 あとはリピーターや旅館からのお客様である。HPを重要な戦力としての営業もどうやら軌道に乗ってきた。

4.桃狩り、葡萄狩りの開園

 7月、桃狩りの開園、8月は葡萄狩り開園、お客様との対応となる。昨年まではサラリーマン生活があったので、休日しかお客様に対応することができなかったが、今シーズンは十分対応することができた。反省としてはスタッフのコミュニケーションも重要でちょっとしたことでも園としての方針や対応を統一することの重要性を知った。 また、同じ意味のことをお客様に話すにも、話し方一つで受け取り方が全く異なる難しさも知った。誤った対応はすぐ改善することも、良い印象でお帰りいただき、リピーターとして再来園していただくためのコミュニケーションも最重要課題であった。
 桃や葡萄の栽培技術についても、毎日畑に出て樹と会話をすることは休日だけの付き合いとではだいぶ異なる。いろいろ気がつく上に農業の難しさも知る。この経験は栽培記録として保存し、来年に生かす。
 掘っ立て小屋の「豊玉庵」で、取り立て新鮮の野菜の手料理もとても喜ばれ、農村ならではの素朴ではあるが心のこもった交流にお礼のメールも何通もいただいた。これが私にしかできないグリーンツーリズムである。 今年は静岡第1TV、神奈川放送、携帯ライフ、Iモード紙などマスコミの取材やその反響も大きく、HPによる宣伝効果と憩える農園づくりの手応えを感じ取った一年ともいえよう。
 農繁期は12月31日ぎりぎりまで続いた。何もそこまで急ぐ必要はないのだが、ずっと農繁期だった惰性と、またその反発として、安心してゆっくりした気持ちで正月を迎えたいためだった。桃園もぶどう園も剪定がすっかり終わり、5〜6年前にあったまるで悪夢のような降雪によるぶどう園倒壊の心配は全くない。休みなしの農作業は体にも負担をかけた。そのため、暇を見つけては接骨医に通い、首筋、肩、腰の手入れを行った。実は肥料掛け依頼慢性の腰痛になりかけていたのである。堆肥だけでも20kgを350袋、実に7tもの肥料掛けをしなくてはならないのである。その後1.2haの剪定作業、勿論、自分だけでは間に合わないので専門家に依頼し、実践の勉強をしながらの剪定作業も年内には終了していた。

5.シーズンオフ・妻と共に歩む人生

 仕事始めは1月5日だったが、剪定枝の片付け、焼却がいくらか残っているくらいで、すぐに片付けることができた。女房は「お父さんが全部やってくれるので、すごく安心、結婚30数年目のプレゼントだと思っているわ。」と喜んでいた。前年は私が休日に片付けた残りを黙々と作業していたのだが、女房の今冬は全くの農閑期で、青色申告の帳簿の整理も1月中には終わっていた。これも、初めての出来事だったそうだ。 勤めている限り給料を得る限り、職場を第一主義に考える。これが勤め人の嵯峨、これをなくしたら職位も職場も失うからである。そのため、女房にも負担をかけたと思っている。定年退職して初めて妻と共に歩む人生も知った。給料が入らないので、年金が入るまでの期間、数年は経済的に厳しいが、先人が言った「名もなく貧しく美しく、ともに白髪が生えるまで。!!」そんな言葉も身にしみる。そして、誰にも拘束されない自由な身分と自分の世界も同時に手に入れることができた。しかし、自由と金は同時にはなかなか手に入りません。
 今や、私もプロスポーツ選手のシーズンオフのごとく、農作業からしばらく離れ温泉につかったり、体を休めながら新年の構想を考えたり、2月からの作業手順を考えたり学習活動に専念した。HPやメールで活躍のPCもペンティアムMの新機種に買い換え、1年半ほど愛用したPCはメモリを増やすなどの手を入れ、女房のHP閲覧やワープロ、それに宅急便のソフトを入れ今シーズン活躍できるようと準備を進めた。 お陰でひどかった腰痛も陰を潜めた。完全休養と適度の運動に勝る治療法がないことも体験したことになる。

6.家族との付き合い、そして、観光園の経営技術

 父は昨年の9月85歳になり、母もこの1月で83歳となった。父母とも一昨年から完全に隠居生活に入り、「楽隠居だよ!もう充分働いたからゆっくりとお命大事にしていこう。」と農業経営も完全に私たち夫婦に任せ、農業に興味も失ったようにも見受けられたが、このところ私に話があると時々呼び出し、相続のことや葡萄畑で剪定や防除などの話をしたがる。参考にと差し出す書物は1970年代のもの、つまり30年も前のものである。基礎は変わらないものの、新しい農業技術や新農薬も出現している。農業技術とて正に日進月歩なのである。私は、退職5年前頃から女房と相談の上、観光園の整備を意識し、観光園の屋根の整備や電信柱の掘っ立て小屋「豊玉案」の建設、S・S(スピードスプレヤー)やトラクターの買い換え、バックホウの購入、ミニウッドハウス建設等、機械化や省力化とともに都会の方が憩える観光農園作りを目指した。それと同時にJAの開催する農業技術講習会には機会がある度に出席し勉強を深めてきた。 そのことが、JAや農業改良普及センターとの繋がり、農家相互の交流にもなった。自分でできる限りの努力を重ね退職後の準備をひとつひとつ進めてきた。
 でも、父の話を辛抱強く嫌な顔をせず気を長くして聞き取り、その後、併せて自分の考え方や農作業の実際の方法を述べ、HPやPCに保存したデーター等をプリントアウトして見せることにした。
 私の防除日誌、食の安心、安全(トレーィサビリティー)対策のためHP上に公開してもう3年。これだけの記録公開は日本広しといえども私だけで、HPなどと縁のない父は知るよしもない。見せることも相互理解の基本なんですね。それらに父は目を通し「基礎的なことは理解しているようだな。よく記録してある。」と言った。しかしながら、人の都合も考えず突然思い立ったら呼び出すので閉口するが、それも遺言のつもりらしい。我が家は父母と我々夫婦のほかに長男と長女が同居している。3世代同居の実態である。兄妹ともに社会人で、結婚適齢期。いずれも幸せな人生をと願わずにはいられない。

7.高齢化社会への対応そして介護

 頑固で人の意見に耳も貸すことがなく勢いの良かった父が、体力的にも衰えた姿を見て何ともいえぬ寂しさと哀れさも感ずるが、まだまだ安心も予断も許さない。ますます頑固に磨きをかけて、精一杯の我が儘と世話を焼かせながら介護をさせられるのはまず間違いない。介護2認定の父は病院やデイケアセンターなど大嫌い。最初は大事にされ喜んだが自由がきかないため、「あんな所は俺が行くところではない。」といって3度とは行くことはなかった。母の負担を考えてのデイケアーだったが、これからますます手がかかることになる。
 世の中は不公平だ。良識とか常識より人のことなど考えない頑固親父に家族は結局振り回される。怒っても、理屈を並べたところでどうにかなるといった問題ではないのだ。 親孝行とはそういうものなのか。
 私とて昨年還暦を迎えたのであるが、親からみればいつになっても子供は子供。はな垂れ小僧に見られたのではたまったものではない。このところ風呂に入れたり用事を足したり、ドライブに連れて行ったりすると神妙に「ありがとう。ありがとう。」という言葉が父の口から発せられるが、その割には相変わらず我が儘で、「ありがとう。」は「次もそうしてくれ、親は大事にするものだ。!」と心の中でほくそ笑んでいるのが目に見える。やれやれ!!。親子の付き合いも、もうかれこれ60年、お互いに性格など知り尽くし誤魔化しようなど微塵もない。だから余計に腹が立つ。この年になって両親が揃っている人などまれで、それだけでも感謝しなければならないのかもしれない。
 損な役回りを続ける世代も我々止まりであろう。我々の老後には<夫婦揃って老人ホーム>夫婦揃えばまだ良い方で、心とお金の準備もしておかねばとも考える。これが真の親離れ子離れなのか。でも、伝統的な農家・農村の良さを残すのも我々の努めとも考えるが、あきらめとため息が出るのは前線離脱か、敵前逃亡か、いや、努力せにゃー如何ですね。農村の伝統的美学を堅持しなくては。

8.農業技術の原点と休眠期の作業

 昨年、甲斐路に綿虫がついて困った。綿虫がつくと商品価値がなくなり、また被害も広がる。そこで、軽トラックに何台分も切り落とし土中に埋めた。こんなことのためにバックホーを購入したのではないはずだ。綿虫の防除時期は5・6月で7月頃房の中に潜り込む。それ以降には防除はできない。線虫が出れば切り落とすしかない。女房はことある度に「綿虫、綿虫」という。もう綿虫と聞くだけでうんざりだ。防除もきちんとやっていたはずなんだけど、綿虫には毎年苦しむ。そこで、今シーズンは徹底的に綿虫対策をすることにした。
 そのためには、まず基礎(原点)に立ち返ることだと考えた。果樹病害虫防除暦を見ると、その最初に、<まきひげ、果梗の切り残し、罹病枝の除去・粗皮剥ぎを徹底する。>と書かれている。適期に防除することも大事だが、越冬する綿虫をまず退治して、住めない環境をつくり、それでも残った綿虫を適期に徹底防除をすることとした。そこで、粗皮剥ぎを効率的にするため、果樹の粗皮剥ぎをする高圧洗浄機(果樹水圧粗皮剥機)の購入を考えた。以前は女房が<手かんな>でガリガリ皮むきをしたこともあったが、重労働で能率が悪く、長続きしない。 そのための対策である。農薬防除が科学的防除なら粗皮剥ぎは物理的防除で減農薬にも通ずる。

9.粗皮剥ぎ作業の実践

 高圧粗皮はぎ機は100気圧もの水圧で見る間に葡萄の皮をそぎ落とす。暖かい日を見つけては根気よく皮剥ぎをする。500Lの水でだいたい葡萄1本の皮剥ぎができる。10aあたり 2000Lは必要か。水は豊富にあるから心配ない。良いと思ったことは徹底努力する。根気あるのみである。手をかけなければ良いものは収穫できないのだ。暖かい日を見つけては葡萄の粗皮剥ぎ、それが2月の重要農作業となった。  圧力があるから腕に負担がかかる。午前中500L、午後500Lで目一杯だ。500L作業するのに約2時間はかかる。重労働だ。でも、作業が終わった樹を見ると、古皮がきれいに飛び、黒枝が茶色に美しく生まれ変わる。皮の下に虫の産卵が見られるが、これを根こそぎ退治して次に石灰硫黄合剤で丁寧に防除するつもりだ。今年こそ綿虫等病害虫に100%負けない高品質の葡萄を作ろうと思っている。!! 2月8日から始めたこの作業も3月4日やっと終わった。延べ1ヶ月、500L×20回、述べ実労40時間で1haのぶどう園全部の粗皮剥ぎが終わった。我ながらよく頑張ったと満足している。

10.退職2年目の挑戦に向けて

 粗皮剥ぎをすると樹体の様子がよくわかる。樹齢が30年も経つ甲斐路やピオーネには洞や浸食した箇所もある。そこに雨がたまり病原菌が入る。1haの葡萄樹体の浸食箇所をすべてコーキングすることにした。この作業にはボンド シリコンシーライト 330mlが10本と2日間を要したが、今まで働き傷ついた樹体を労り感謝した気持ちでのコーキングだった。
 その後、女房と2人で、種枝数の調整を図りながらテープナーを使った誘引作業(つるしばり)をした。種枝の調整は昨年厳寒の気候で蔓が凍みたのでは多めに種枝を残し春先に再調整したためである。この作業には述べ6日かかった。その後、計画通りベンレート水和剤と硫黄合剤による入念な防除作業をした。勿論、手散布による。硫黄合剤の散布は気遣いである。昨年、農薬取締法や使用基準が改正され、他園や住宅等への飛散がないよう風向きを考慮しながら時間をかけて何回にも分けて散布した。また、甲斐路等樹齢30年余りの葡萄は樹勢が衰え更新の時期を迎えているため、苗木を購入しぶどう園の隅に仮植えをして育成し更新の準備を進めることにした。

 本日は3月29日であるが、あと数日で4月を迎える。路地桃の早生種「ちよひめ」が開花した。春1番と言って春先には風が吹くが今年はやけに強い。暖かいと思えばまた冷え込む。桃の花も昨年より4〜5日は進んでいるだろう。見事に咲き誇る桃の花も見たい気もするが、一気に暖かくなり遅霜に襲われるよりゆっくり暖かくなった方がよい。

 退職1年目の挑戦もあと数日で2年目の挑戦となる。一生懸命考え行動に移してきた。まずまずの成果であったが、やり残したこともいくつかある。その反省を踏まえ家族との融和も図りながら次なる挑戦に向かって更に頑張ろうと思う。(完)


追記1.
 8.農業技術の原点と休眠期の作業、9.粗皮剥ぎ作業の実践で述べましたが、併せて完全防除(18年果樹栽培履歴:防除日誌)の作業 により平成18年の防除は完璧の成果を上げ、綿虫(アブラムシ)の発生や雨の多い年にもかかわらず甲斐路の腐れの発生も極僅かでした。研究心と理論に基づいた努力は報われることの喜びを感じた年でした。女房は「雨が多い年なのに、綿虫や腐れが無くて、手がかからず収穫がとても楽。本当に良かった。」と何度も言ってます。女房はことある度に「綿虫、綿虫」という。もう綿虫と聞くだけでうんざりだ。・・・・という昨年に比べ達成感を感じます。厳寒の2月の粗皮剥ぎ作業から始まった私の心に秘めた熱い戦いも大きな成果を得ました。本年身につけた農業技術と根性(努力)で、これからも高品質の商品を消費者にお届けしたく考えております。(平成18年9月18日)

追記2.
 観光園の後片付けも終わり、いよいよ肥料掛けです。例年堆肥は20kg袋入りを購入していましたが、今年はバラを2t積みのトラック2台分購入しました。運搬車にはバックホーで積み込み、肥料掛けはスコップを使います。昨年は運搬車に手作業で積みそれを畑に配置して、さらに袋から箕に入れ散布し重労働でしたが、今年は積み込んだ物をそのまま散布、他の肥料も運搬車の荷台であらかじめ配合して散布しました。すると行程も少なく省力化が図られ、随分楽になりました。機械力は昨年と何も変わっていないのに、労力は4分の1か5分の1程度。どんな作業にも発想の転換が必要ですね。今年も植木屋さんが来て剪定をしてくれました。松や銀杏それに樫の木等の剪定枝や葉が運搬車に約10台分、これは葡萄畑に、バッフォーで2m四方の<たこ穴>を掘り埋めました。機械力があるから出来る貴重な有機質の有効利用です。ついでに穴の廻りを掘り崩して<天地返し>も例年しています。直径3mの心土を砕くことが出来ます。これによりSS等の踏圧やお客様に踏み固まれた土壌の団粒構造も良くなり、土に空気が入り、保水力やバクテリアの繁殖が活発になります。10月になると、この<たこ穴>の上に<ササクレヒトヨ茸>や<畑シメジ>等のキノコが出てもう3年。これはお客様に<キノコ汁>としてふるまいました。有機質が豊富で、土が生きている証拠でもあります。

追記3.
 肥料掛けが終わったので、いよいよ剪定作業が始まります。新しい葡萄の苗もすくすく育ってます。剪定作業と同時に桃や葡萄の更新も併せてします。
荒剪定をまずして樹園を整え、本剪定をします。そして剪定技の片付けと年内一杯は作業が続きます。そして1月はゆっくり体を休め、2月からは葡萄の粗皮剥ぎ作業に入ります。来年も今年に負けない美味しい果実をお客様に提供したい。グリーンツーリズム(農村と都会の皆様との交流)に止まらず、次世代を担う子供たち、そして韓国、香港、台湾等の視察やツワーの受け入れを積極的にして、国際親善にも貢献したい。そんな思いを巡らせつつ、農作業に励んでいます。(平成18年11月18日)