善意の波紋


                      毎日郷土提言賞受賞作品(感想文の部)平成3年 三浦久宜(園主) 
  
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  ある寒い朝の出来事であった。私は所用があって、車で甲府へ行くため村の公民館前を通り過ぎようとした。その時ふと、建物の裏側で背をこごませながら、何やらうごめいている2つの人影が目に入った。こそこそしている様子に、いずれ廃品あさりでもしている者であろうと思い、その日は通り過ぎてしまった。

Bさん それから10日余りたった朝、またこの道を通ると同じような人影が見えた。私は怪しいぞと思い、資材置き場のかね目の物でも荒らされてはと、早速車から降りて、公民館の西側からそっと2人に近づいていった。
 よく見ると物色していると思われた人は、村の顔なじみのAさんとKさんであった。2人は汚れた手ぬぐいでほおかむりをして、村の人たちが搬出したゴミ袋の中から1つ1つジュースの空き缶を取り出して、ビニール袋の中に入れ替える作業をしていたのであった。「おはよう!この寒いのにご苦労様ですね」と声をかけると、Kさんが「なにしろいくら言っても不燃物と可燃物をごっちゃにして持ち込んでしまい、このままでは町の収集車が運んでくれないので、仕方がないからAさんと2人で仕分けして、町の運搬車で運んでもらっています。」との答えであった。指先の凍るような寒さのなかでの作業は大変なことだと思い、私もしばらくの間お手伝いしてその場を去った。

 私の住んでいるところは中央線沿線で、ホテル、旅館が数十軒もあり、繁華街には多くの料理飲食店が並ぶ温泉郷である。このような土地柄、地域の生活雑廃物であるゴミは驚くほど多種多様で、持ち出し期日には、こんなにもゴミが出るものかと思うほどいつも驚かされている。中にはベッド・机・テレビ・ラジオなどの電化製品から自転車・オルガン・料理用食用油の空き缶などうず高く積まれて、新築したばかりの白亜の公民館は、ゴミの山で埋まってしまうほどである。また、地区住民以外の者は搬入禁止の立て札も一向に守られず、夜陰に乗じてトラックで運搬してくる不心得者も出現し、遂には世間中のゴミ捨て場となって、付近の葡萄園や民家の庭先まで投げ込んでいくという、無法地帯と化してしまった。

 更に困ったことには、夏場にはいると残飯の袋を野犬の群が食い散らし、散乱した袋から汚れや悪臭が漂い、公民館の西側の道路は鼻をつまんで息を止めて小走りに通るという、まことに見苦しい最悪の状態となってしまった。
 聞けばAさんとKさんはこれを見かねて、ゴミの山の整理作業をもう半年も前からやってこられたそうである。
 けれどもゴミの山は依然として減らなかったが、今度は老人クラブの人たちが立ち上がり、2人に協力することになった。会長さんの有線放送によって会員たちが集まり、不燃物、可燃物、有価物の区分けをして、有価物は業者に売り渡してクラブの運営費に充当する作業が続けられた。けれどもお年寄りには過重の仕事だったこともあり、半年あまりで中止してしまった。それでもなお2人のゴミ作業は続けられていた。
区民総会 
 こんな時、新しくなられた区長さんの強い発意により、問題解決のために臨時区民総会が招集された。区民の総意により、夜間照明設備をして思い切り堅固な施設をつくり、整理作業は区内の各組が順次当番となって出労し、全区民総力を結集して清潔な村をつくるという決議が申し合わされた。この決議によって、長い間常用として積み立てられていた、区民の浄財約280万円を支出して、2ヶ月余りをかけて、高さ2メートルほどの鉄さくで公民館の周囲を囲い、区割りを仕切って本格的にゴミ処理作業が始められた。
 それからというものは、夜間の不法搬入や周囲の果樹園などへの投棄もなくなり、住民の環境美化意識も高まって、地区の河川や道路の清掃作業にも積極的に出労し、村の運動会や祭りにもかってないほど多数の人たちが集まる和やかな村となった。
Aさん
 「おれがやらねば、だれがやる」といったAさんKさんの勇気と素朴な郷土愛は、困難と思われたゴミ問題を解決に導くとともに、住民総参加の村づくり運動にも発展して、環境美化と村内親睦融和に大きな役割を果たしたのである。
  一隅を照らす人の善意は大きな波紋となって、人の心の中に伝わり、社会に奉仕することの尊さと喜びを体験させてくれたのである。
 
 清潔と平和を住民自らの力で成功させた私たちの村に、うれしい話題が持ち上がった。国道20号線沿いに流れる笛吹川に生息していたカルガモが10数羽、村の民家の庭池や養魚池に飛来するようになった。中にはブドウ園でひなをふ化させ、小びなを数羽引き連れて養魚池ですいすいと遊泳している、のどかな風景が見られるのである。
 村の人たちも、最近この地域には野鳥が増えてきたという。そんな話を耳にすると、私の家でも野鳥が増え、ムクドリ・ヒヨドリ・メジロ・キジバト・ヒワなど見かけるようになった。昨年採取した日向草の種子をまいてやると、いろいろの野鳥が飛来して、赤く咲き始めたツツジの間をチュンチュンなきながらえさを拾っている。こんな光景を縁側で、妻と2人で見ていると、言い表せない心の和らぎを覚えるのである。

 「自然と人間のハーモニー」このテーマは、人類の将来の生き残りをかけて解決しなければならない現在の課題であると思うのだが、熱帯雨林の乱伐、湾岸戦争など、このところお疲れさまの地球を考えると、なおさら感を深くする。それにつけても、清潔で野鳥が群れ遊ぶ、平和なすばらしい村づくりのため、長い間努力をしてくれた、AさんKさんの優しい人間性に心打たれるこの頃である。


  三浦久宜 1920年(大正9年)生まれ。東京農工大学(旧東京高等蚕科学校)卒
業後、石和町教育委員、農業委員などを歴任。毎日農業コンクール優秀賞(昭和44年)
黄綬褒章(昭和58年)毎日農業記録賞(昭和62年)等受賞多数 現在果樹農業に従事