三浦光宏
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JA山梨厚生連 文集「清流」平成9年掲載
昔、幼児心理学を少しだけ学んだことがあります。その時、教育原理用語でmotivation(動機づけ)という言葉を知りました。 動機付けとは広辞林によると、意志を決定したり行動を起こしたりする際の直接の原因 と記されています。つまり、動機付けとは欲求発生のための条件ということになります。 人間の意志決定には、環境が大きな影響を及ぼすことは周知の事実ですが、時には無意識や偶然に動機付けがなされ、それが何時しか人間の考え方や行動を決定するとも考えられています。
この動機付けは簡単に短期間で行われる個人的なものや、多数の人間に対して、何年かという長期間のサイクルで行われる組織的な複雑のものまで様々ですが、時によっては、人生や歴史が変わるような大がかりのことすら実現します。
近年のオオムの一連の事件や幼児や、小・中学生の児童生徒に、何の目的のために危害を加え、死にも至らしめる驚くべき事件が2度も3度も起こるのを知って、現在の教育や世の中そのものの有り方や未来に対して、不安やむなしさを感じています。
そこには、現実とゲームとの境界線もなく、日本古来から大切にされてきた人情も、わびもさびも味もない、単に無機質の世界が実在しているのでしょうか。
国民が貧しく、食する事が精一杯の時代にはこんな恐ろしい事件は起こらなかったのですが、GNPがはねあがり、エンゲル係数(生活費の中に占める食費の割合)と言う言葉すら出合う機会のなくなった飽食の時代の今日、何とも言い様のない意味不明の現実に、焦りと失望と、そして、脱力感すら感じてしまう、イヤーな時代に遭遇してしまった感があります。
政治や教育、そして、正しい考え方を教える倫理や宗教心も、これからの時代にはより必要ではないのかと思わず呟いてしまいます。
マスコミの報道によると医学の世界も年々進み、医療機械の進歩にともなう検診の精度の向上や、臓器移植に関する法律の制定など、医療倫理の考え方にも大きな変革期が到来したとも考えられます。命の尊さや「死」の認識に関する定義付けと、医学の進歩という両面の観点から、慎重に、また、早急に検討して頂きたいと考えております。
さて、動機付けという本論に戻りますが、検診の世界ほど、動機付けの大切さや、そしてなによりもそのむずかしさを感じている専門職も多いのではないでしょうか。
検診においては、事後指導の段階で精密検査の必要性や成人病などに関する理解をしていただき、食や生活習慣の改善などの動機付けをして、真の健康を取り戻していただくことが目的であると思われます。
標準体重に落として、健康な体を取り戻すことが目的なはずなのに、体重を落とすことが目的と考えて無理な減量を行っている方も少なくありません。
医師や保健婦、そして栄養士などから専門的アドバイスを受けたはずですが、自己流でのダイエット、これは危険極まりのない方法であります。
世には仕事のスペシャリストは多く存在します。確かにその道のスペシャリストであっても、どの道にも通ずるものではなく、医学に関しては実際素人なのに、自己流の自己管理をする方も少なくありません。必ず専門職の指導の基に医療行為を受け、よく理解し、納得した上で自己管理をすることが特に必要だと感じています。
ところで、動機付けをする場合、media (方法)が大切だと言われています。特に食や生活習慣の改善は、本人にとっても苦痛のものでありますし、家族の理解や専門家とのコミュニケーションがより必要だと思われます。
世に「人を見て法を説け! 」と言う格言がありますが、若い保健婦や栄養士に手厳しく指導されて苦情を言う年輩者が多いのも現実です。彼らは、その若い保健婦や栄養士が専門家であり、自分が受診者(時には患者)という認識よりも、若いがため人生経験が少ない(実際には毎日食事を作ってない)実生活の感覚に乏しい年少者という認識を持っていると考えられます。
検診業もひとつにはサービス業的要素も多分にあるのですから、受診者を番号などでは絶対呼ばず○○様と敬語で呼び、受診者よりも必ず目線を低い位置に置いて話しかけることを心がけ、現に人間ドック施設をホテル並にして厚遇している民間の検診機関も存在することから、生活指導は気分良く動機付けを行っていただくためのテクニックと考えるような意識改革も必要だと思われます。
これは私の経験ですが、保健指導の時「あなたは充分理解していることと思いますが・・・。.」とさりげなく自尊心をくすぐられ、自分や家族のために自己責任において生活習慣を改善しなければならないという自覚を持ったことがあります。
しかし、人間は自分に甘いのも現実、よほどの理解と覚悟がなければ長続きするものではありません。私の知る某先生は患者や受診者に対して本気で怒りました。勿論、誰にも怒れば良いというものではありませんが、その真剣さに命を救われたという実例も存在しています。
いずれにしても、自分や、他人に対する動機付けが、時には意識下で、時には無意識のうちになされて、政治や経済、そして事業も、人生のすべてが動機付けのうえに成り立っているとも考えられます。
日本国政府にも内閣情報室なるものが存在することが事実なら、アメリカのCIA、かってのソ連のKGBたる諜報機関も存在し、公的な情報管理も行われています。
人間が存在する限り、公的に、あるいは私的にも目的達成のための諜報活動が行われています。これも一つには、人々に対する動機付けがどのようになされているかの調査・管理活動だと思われるのです。なお、動機付けにはマスコミの影響も決して無視はできません。
情報化時代、言い換えれば情報過多の時代、何が正しく、何が必要な情報であるのか。自己に対する強い信念を持ちながら、それでいて素直な気持ちを持ち、人の本質を見抜く力、このような基礎的な力を持ちながら、情報をフィルターにかけ、自己の心をコントロールをすることが、これからの世を生き抜くために最も必要なことだと思われます。
情報を過大に評価し情報に惑わされ、自己を見失う結果に陥ることも現実にはあり得るのです。
私も今、大変難しい仕事に直面していますが、良い意味での動機付けがされ、多くの人に少しでも良い環境を整えることができたならと考えているこの頃です。
今回は、motivation(動機付け)とmedia(方法論)について考えてみました。