三浦光宏 JA山梨厚生連 文集「清流」平成3年掲載
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私は元来、鳥好きである。その理由は酉年生まれの為かもしれない。
私の家の周囲には、スズメ、ムクドリ、オナガドリ、セキレイ、ヒバリ、キジバト、カラス、トンビ、ゴイサギ、ウグイス、ツバメ、カルガモ、数え切れない程の野鳥が居て、その季節折々の姿態を見せてくれる。
朝一番早いのはスズメである。夜が明けると真っ先にチュンチュンさえずりながらエサを漁りに来る。その次がムクドリ、これはすぐそばにある森に何千羽と住んでいて、空が白んでくると、まず、電線が太くなるほどに移動して明るくなるのを待つ。そのうちどこかに飛び去り、また、夕暮れ時、空が暗くなるほどの大集団が渦を巻いて帰って来る。
石和町では、毎年8月 20〜30人のハンターによる害鳥の一斉駆除が行われる。
森に帰ってくるムクドリを狙っての一斉射撃、鳥は驚き竜巻のように舞い上がる、しかし、すぐ、ねぐらの森に帰ってくる。また、そこを狙い打ち、鳥はばたばたと落下する。散弾が夕立のように屋根に降り注ぐ。そんなことの繰り返しだ。ムクドリによる被害が何億円かの本県農業の実体からみて、これもいたしかたないことではあるが、人によくなつくムクドリが哀れでもある。
春先、スズメやムクドリ、きじ鳩の幼鳥を拾ってきて、何度か飼育してきたが、野鳥はやはり自然が良いらしく、たとえ手乗りになっても、何時となく飛び去っていく。此が自然の法理というものであろう。
鳥の飼育、これも何度かチャレンジした。幼い頃、お祭りで買ってもらったヒヨコ、これが初めてだったのかもしれない。雄鳥が大きくなって追いかけられ、困って泣く泣く笛吹川の河原に捨てに行ったものだ。
父がよそからもらってきた金鶏鳥、これはかなり空を舞う。野生のニワトリすら空を舞うのだから当たり前なのかも知れない。
七面鳥を飼ったこともある。七面鳥は大きくなると子供を追い回し、飛び上がっては蹴り爪で蹴る。その結果、クリスマスの時、食卓へ乗ることとなった。
昔は、ウサギ、ニワトリなどは重要な蛋白源で、農家では来客、お祭り時には料理してご馳走したものである。山羊乳は、私ども兄妹を大きくしてくれたし、ニワトリの卵は卵焼きとしてよく弁当のおかずとなった。
その他には、父母が孫たちのために買ってきたジュウシマツ、いつの間にか世話をするのは私の役目となり、それで鳥の飼育に火がついてしまった。今までに、紅スズメ、アミバラ、コキンチョウ、カナリヤ、ブンチョウ、セキセイインコ、ルリコシインコ、ブルーボタンインコ、コザクラインコなどなど、手当たり次第飼育した。でも、いつの間にか落鳥してしまい、いくら補充しても何時かしら途絶えてしまった。
ガチョウやアヒルも観光葡萄園で飼ったことがある。これは野犬にやられてしまった。
今飼育しているのは、セキセイインコが10羽ぐらい居るんだろうけど、巣箱の中で卵を暖めていたり、幼鳥がピイピイいっているので何羽いるかわからない。家で飼っていたパンダウサギのペアと交換で10羽もらったのが10年前、いまだに続いている。一時は30羽近くになった。定期的な親鳥の導入と、小鳥の分譲が飼育のポイントとなっているのだろう。インコは10羽位いから始めるのがコツである。
娘がやはり鳥好きで、生まれたうち、何羽かを手乗りにしては数年かわいがり、あちらこちらを連れ回しているうちに逃げられ、また、手乗りをこりずに作っている。でも、宿泊出張の時などは世話をしてくれるのでとても助かる。
鳩を飼いはじめて、もう3年余りになる。これは、中学校帰りの娘が、羽を痛めたレース鳩を1羽拾ってきたのがきっかけとなった。すばらしい鳩であった。足環に打ち込んである電話番号から大阪の持ち主に連絡し、羽が直るまでに3ヶ月くらいかかること。東京から大阪までの500qレース出場の鳩であること。その鳩を飼っても良いことを聞き「鳩の飼い方」の本を求め一から始めた。この鳩はポッポちゃんと娘に名付けられた。お嫁さんに純白のピイちゃんを迎え、その後、何羽か種鳩を導入し、今では、純白、灰胡麻、二引き、白刺毛、バイド、茶などの種類の鳩が50羽以上いる。
インコと鳩は朝が早い。夜明けとともに動きが活発になる。冬にはそれほどにも感じなかったが、暖かくなると夜明けも早くなる。今では5時半頃にもなると鳩小屋は戦争のごとし。インコは高い声でさえずり、鳩はクウ!クウ!と鳴ながら、鳩舎の中をバタバタ!ドスン!ドスン!と動き回り、外に放すのを今や遅しと待ちかまえている。お陰でいくら頑張って寝ていても6時が限度。やおら起きあがり、鳩を放し、鳩舎の掃除や水の取り替え、餌やりで急いでも30分はかかってしまう。
鳩の魅力、これはなんと云っても帰巣性にある。他の鳥はいくらかわいがっても、一度逃げるとなかなか戻ってこない。しかし鳩は2000qもの距離を帰って来るという。それには、コースを決め順次距離を伸ばしていく厳しい訓練が必要なことは云うまでもないが・・・・・。
鳩はまた利口である。飼い主の姿・行動のパターンをよく理解している。放鳩した後、掃除が終わる頃には必ず帰ってきて、餌やりが終わり、OKのサインが出るのを窺っていて、順序良く鳩舎に到着する。
浅めの容器に水を張っておくと、その中に飛び込んでは、まず最初に頭をつっこんで洗ってから、次にブルブルッ!と体全体を水浴する。その後、くちばしで羽づくろいをしながら日なたぼっこをしている。電線に止まりながら羽を広げ、雨を受けては羽の手入れをしていることもある。どういう訳か片方の羽を持ち上げ体をひねって雨を受けている。奇妙な格好に思わず微笑みたくなる。よく考えると至極当然である。雨を目一杯羽の裏側に受けるのには片方ずつするしかない。両方一度にしようとすれば、鳩だって腰痛になってしまうかも知れないからだ。
鳩は夫婦一夫一婦制で夫婦仲はとても良い。二羽で協力して抱卵し、子育てをする。産卵から約23日でふ化するが、ふ化したばかりの小さな鳩が、ピイピイ云いながら親鳥に餌をせがむ姿は面白い。親鳥のくちばしの中にまだ柔らかい小さなくちばしを突っ込んで餌をもらう。
鳩の雛は親鳥の、砂嚢壁(鳥特有の餌をすりつぶす食道にある砂袋)から造られる黄色いチーズ状の「鳩乳(きゅうにゅう)」で2週間ばかり育てられる。その後は小粒の餌になるが、餌の重さで動けないほど胃袋の中に詰め込む。
鳩の成長は早い。ふ化して約5日目で足環をはめる。生後1ヶ月で毛が生え揃い、2ヶ月もたつと、もう1人前に空を飛ぶ。
若鳥は生後100日目から放鳩訓練が始まる。5q・10q・50q・100qと東西南北のあらゆる方向から何回も繰り返し訓練して地形を完全に覚えさせる。此がレース鳩の訓練方法であるが、私は、美しい鳩、あるいは、珍しい鳩の作出と放鳩、それに、生態観察が主な目的であるから、レースは控えている。しかし、明野村、鳴沢村、大月市、六郷町、八王子市からも放鳩したが、鳴沢村、八王子市を除いては全部戻ってきた。鳴沢村は山が深く、樹海もあり、昨年放鳩した時はその夜雪が降ったことから、帰ってきたのはポッポちゃんだけで、それも放鳩してから1ヶ月も経ってからであった。
無理な放鳩に胸を痛めたが、それ以上に娘にこっぴどく叱られ、攻められたのがなによりつらかった。1ヶ月後ポッポちゃんが帰ってきたのを、娘が興奮した顔で告げにきた。あれ以来毎日鳩小屋をのぞき込んでいたらしい。今では、ポッポちゃんは他の鳥より別格になったばかりか、娘の許可なしでは放鳩できなくなってしまった。
朝夕の放鳩と餌やり、掃除が鳩の主な管理であるが、夜遅く疲れて帰った時でも餌を与え、雛が親に餌をせがむ様子や鳩の様々の生態を観察していると、心も和みリラックスし、しばし時間を忘れさせてくれる。しかし、深夜に電気をつけ、鳩小屋の前に腰掛けて鳩を見ている姿を見られたなら、他人はなんと思うだろうか。
この年で、今更 鳩ポッポ でもあるまいが、帰巣性、存在感、子育て、集団の中の社会性、人なつっこさや甘える仕種、それに、生態を観察する上で、鳥の王様と云って良いであろうと私は考える。
先日、鳩から感染したか肺炎になってしまい、職場の方に大変迷惑をかけてしまった。厚生連にいたから入院しなくて済んだと思っている。
肺炎になったのは、断じて鳩が悪いわけでなく、私の管理術に問題があったためと反省している。自分の生き方とか、人を愛することとかは頑固であって良いと思っている。ましては、生き物を飼育するのには、そのくらいの覚悟も必要である。
鳥の飼育を始めて、足かけ20年、これからも、鳥達と楽しい思い出を創りながら、その管理には充分の注意をして、動物や植物の生態観察を続けるつもりだ。彼らから、自然の厳しさ、生き抜くことのむずかしさを教えてもらいながら、自分の人生に生かしていきたいと持っている。
(鳥から感染する病気には、肺クリプトコックス症とかオーム病があるので、手荒い、うがい等、日頃の管理には注意を要する。)