お答え。
言葉が足りないための誤解です。途中の重要な言葉が抜けてしまっています。つまり、法華経の世界を信じることが出来る心は、純粋で、謙虚でなければなりません。
これは、信仰云々以前の問題ですが、謙虚さを失った人は周りの人からも嫌われ、生き地獄を味わわなければなりません。法華経の世界は純粋で清らかな世界です。宮沢賢治先生もそれに気がつかれたお一人です。
そんな純粋な心根になって、法華経の世界が信じられる所までステージが高まった人は救われる。しかし、そんな世界などあるものか、神も佛もあるものか、という考え方の人は救われず、地獄に堕ちるしかありませんよ、ということなのです。
お訊ね。 お墓って必要なものなんですか?
お答え。
墓標という言葉もあるように、私もこの時代に、生きてきたぞ、という印だと思います。これがないと、何十年か経った時、こんな人がいた事自体、消えて無くなってしまいまます。生きてきた証が残らないのです。せっかく、苦労して生きてきたのに、それではあまりに虚しすぎやしませんか。
元々の意味は、スツーパ(塔)で、死ねば皆佛になるのだかから、仏塔として敬うためだったのでしょうが、前述のごとく、日本人の文化に根ざした考え方で良いのではないでしょうか。
お訊ね。宿命ってあるんですか?
お答え。
お答えするのに、大変難しいご質問だということを念頭に置いての話ですが、二つのお答えを用意しました。
ひとつは、法華経の世界の、輪廻転生、つまり、人はある宿命を持って生まれ来て、ある宿命のために死んでいき、それを永遠に繰り返すのだという事から見れば、生まれながらにして持っている「宿命」はあると言わざるを得ません。
しかし、この場合の「宿命」は、カルマ、つまり、悪業の因縁を指します。従って、これを断ち切るために修行を重ねて行くわけです。
ふたつ目は、占いの方面からの「宿命」です。これは、生まれ星や、方角から受ける影響のことを指していますので、改善が可能です。いわゆる星祭りや方除災の祈祷によって安心を得て下さい。
お訊ね。神様に対しても、お題目を唱えればいいの?
お答え。
日蓮宗で神様というのは、難しくいうと、法華経擁護の諸天善神、つまり、法華経を信じ説のごとく修行する人を守護するという誓願を佛前で行った神々を「神様」と呼んでいます。
ですから、御大黒様、七面様や鬼子母神様、帝釈天、妙見様、八幡様などが有名です。今挙げた神々は、法華経擁護の善神ですので、「南無妙法蓮華経」で願いを聞いてもらえます。
なぜなら、お題目を唱える人は、法華経の修行者だからです。
お訊ね。日蓮宗という宗派は、他の宗教・宗派を敵視し、誰彼なく論争を挑むそうですが・・・・・。
お答え。
『今は』、そんな事はありません。敢えて「今は」とお断りしましたのは、大聖人御在世当時は、科学的思考も未発達で、文盲率も高く、人々を正しい信仰の道に引き入れるためには、他宗を批判し、法華経の優位性を主張するしか方法はなかったのだと思います。
その、印象があまりにも強烈で、有名であるために、日蓮宗という宗派は、・・・・・・ということになってしまったのです。
しかし、現在の宗教そのものの存在理由が、時代とともに変化し、心の支えとしてのものになってきています。鎌倉時代は、宗教は、この世の価値観のすべてであり、どの教義を信ずるかは大問題でした。
政治の基本方針も、人間の存在そのものも、宗教とともにありました。現在の、中東紛争の原因を為すものと一緒です。
法華経の優位性を信ずること、法華経の内容の素晴らしさをお伝えしたいという気持ちはいささかも変化はありません。
しかしながら、今こそ仏教界が大同団結し、心の荒んだ現代の人々を救わなければならない、という事については、他宗と協力する事も吝かではありません。
無為な論争など、している時ではないという考えは、宗門一致しております。
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