大黒様とは、
昔、インドで神々がこの世を動かしていると思われていた頃、暗黒の世界で死を司る神として怖れられていた神がいました。
その名を「マハー・カラー」といいました。(マカ、カラ)とも呼んでいます。暗黒の大神ということで、「大黒」という名前の起源になっています。
それがいつの頃からか、その凄まじいばかりの破壊の力を「」の神として祀るようになっていきました。
ですから、古い形の大黒天は、青黒い憤怒の顔をして、剣を持っています。そして、俵になど乗っていません。ただ立って周囲を睨んでいます。そういうイメージだったのでしょうね。
仏教が我が国へ入ってきたのが、欽明天皇の時代、つまり、538年だとされています。それ以後、聖徳太子によって国教として敬われるようになっていきます。
そこで大きな転機がやって来ます。というのは、我が国古来の宗教(神道)もありましたから、日本人の国民性で、どちらもうまくやっていこうとして、神仏習合が行われていきます。
大黒様もご多分に漏れず、大国様と重なっていくのです。それまでの憤怒の形相から、大きな袋を肩に掛け、にこやかな表情で語りかけるようなイメージへと変貌をとげていきました。
しかし、仏教伝来以来、700年ほど経過した、鎌倉時代になっても、佛教者からしてみれば、戦いの神であり、特に我が宗では、法華経修行者の守護神としての地位が不動のものとなっておりました。
大聖人も、御自分の守護神として祀っておられたと考えられます。いわゆる、法華経守護の諸天善神ということになります。
私ども日蓮宗の僧侶は、自分の修行の完遂のための守護神として、御大黒様を勧請してお祀りしております。
しかし、一般には、福の神、五穀豊穣の神、商売繁盛の神、としての御大黒様で良いと思います。

余談を一つ・・・

御大黒様が五穀豊穣の神である証拠・・・。
御大黒様が持っている、「打ち出の小槌」の模様が、「桃」であることをご存じでしたか? 桃は『女性器』の象徴なのです。桃太郎は、桃から生まれたではないですか。
御大黒様を後ろから見ると、頭巾が亀頭で、俵が睾丸、つまり、男性器そのものなのです。男性器と女性器があって、万物が生まれるという、古代人の思想が見事に受け継がれていますね。

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昔の話をすれば

粟(あわ)飯?

お大黒様?

歴史を語るもの・・・

住職は?

正慶寺付近の名所旧跡

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